次のような状況を考えてみよう。
バルとジョーは席が隣同士だ。ジョーは仕事中に音楽を聞くのが好きで、いつもは気にならないバルも今日はなかなか集中できない。「今日は音量を少し控えめにしてくれないか?」と言うと、ジョーは返事をせず音量を上げた。
相手の問題が騒音であれ、とげとげしい態度であれ、遅刻癖であれ、バルのような立場に置かれたことは、誰もがあるだろう。おそらく「態度を改めて、いい加減に謝ったらどうだ」と言いたくなるだろうが、こうした言い方では大抵失敗する。その一例を見てみよう。
バル:こっちは音楽を毎日我慢していて、文句を言ったことは一度もないじゃないか。頼むから、きちんと謝ってくれないか。
ジョー:なんだよ、そんなに迷惑かけているとは、悪かったね。いいよ、どうせこれからランチだから。音量は下げる……とりあえず今は。
バル:子どもじゃないんだから。自分が間違っていることを認めて、この話は終わりにしよう。
ジョー:そっちが音を立てていなかったら、音楽をかける必要もないのに。音をかき消すために聴いているんだ。
バル:それは違うだろ。自分でも分かっているくせに。
ジョー:今度はうそつき呼ばわりか!
自分の行動に罪悪感を持てば人は変わる、という考えは一見して説得力があるかもしれない。しかし謝罪を強要すれば、真の変化をもたらす可能性が下がるだけだ。
大切なのは「何を変えるべきか」に合意すること
自分の正しさを認めてもらうには、相手の非を認めさせることが効果的だというのが一般的な考え方だ。しかし、実際にはそれほど簡単にはいかない。人間の精神はねじ曲がった部分が多く、自分の過ちを見て見ぬふりをすることもできるからだ。
自分をぞんざいに扱った人に天罰が下ることを妄想する人は多い。音楽の音量を下げない人、プロジェクトを完成させない人、仕事に遅刻する人には、後悔の念を抱かせたいものだ。だがこれはあくまで妄想でしかない。