当時アメリカでは、84年の連邦通信委員会の決定により、テレビ放送に関する規制が廃止され、テレビショッピングブームが起こっていた。ガシー・レンカーのような企業が急成長を遂げていたのだ。
プロアクティブは、いいタイミングで市場に投入された、ちょうどいい内容の商品だった。瞬く間にガシー・レンカーでも有数のヒット商品となり、同社の売り上げの約半分を稼ぎ出すようになった。ジャスティン・ビーバーやヴァネッサ・ウィリアムスといったセレブによる推薦のおかげで、15年には10億ドルの売り上げをもたらした。
ガシー・レンカーは、現在も月額制のオンライン販売と全米のショッピングモールに設置された自動販売機でプロアクティブを販売している。16年3月には、ネスレと合弁事業に乗り出し、海外販売の拡大に取り組んでいる。フィールズとロダンはその一環としてプロアクティブに関する残りの使用権を売却し、それぞれが本誌の推定で5,000万ドル以上を一括で受け取った。
ただの皮膚科医には戻らない
プロアクティブの最初のライセンス契約に署名した後、フィールズとロダンは、単純に皮膚科の診療に戻ることもできた。だが、2人は研修医時代に受けた助言に従うことにした。
「趣味を持ちなさい。そうでなければ、ニキビとイボの治療に終始する羽目になる」と言われていたのだ。
フィールズとロダンはどちらも、シワの悩みで受診する患者の年齢層が下がり続けていることに気付いていた。ガシー・レンカーとの契約は、テレビでマーケティングさえしなければ、ほかの商品開発はしてもいいという内容だった。そこで2人はもうひとつの市場に狙いを定めた。アンチエイジングだ。再び夜にキッチンに集まる生活に戻り、新製品向けに化学物質を調合した。
そうやって02年にR+Fのシリーズを発表し、デパートで販売を開始。翌年、このブランドは化粧品大手のエスティローダーに買収された。だが、時間が経つにつれ、エスティローダーではR+Fに必要なマーケティング上の後押しがないことがはっきりしてきた。失望した2人は、「ニュースキン」などの直接販売会社を研究し、パーティを開催してその販売形式を試してみた。
このとき、ロサンゼルスのテレビ局がこのパーティを取材していた。直接販売を取り上げた深夜の番組で2人のインタビューが放送されると、テレビ局には販売に関わりたいという人々からの電話が殺到した。そこで07年8月、ロダンとフィールズは自分たちのブランドを買い戻すことにした。
「私たちの商品は効果的で、人生を変えるようなものだとわかっていましたから」とフィールズは言う。