ビジネス

2017.07.10

キッチンから生まれたビリオネア! 女性皮膚科医の副業物語

ケイティ・ロダン医師(左)とキャシー・フィールズ医師(右)。2人のオフィスは、サンフランシスコのダウンタウンにある。(photograph by Christian Peacock for Forbes)


89年のある日、診療を終えたロダンはニキビケア商品を作ろうと思い立った。最初に電話したのがフィールズだった。2人とも、新しいニキビ治療薬がないことを不満に感じていたのだ。製薬会社は、投資するには市場が小さ過ぎると言う。そのため強力な化学物質を使った効果の薄い局所治療しか選択肢がなかった。

「それでは歯科医が『虫歯のある歯だけを磨いてください』と言うようなものですよ」とフィールズは言う。
 
皮膚科医としてスキンケア市場に隙間を見つけることと、その隙間を埋める商品を作ることは、まったくの別物だ。それでも、皮膚科医療の専門知識を持っていたことが有利に働いた。それ以外は身をもって学ぶしかなかったが。
 
ロダンとフィールズは、ビジネスの手腕のある知人なら誰でもディナーに連れ出し、助言を求めた。ロダンの夫で、ハーバードのビジネススクールでMBAを取得したアムノン(現在、R+Fの取締役会長)の力も借りた。
 
90年、2人は互いを、ニキビケア商品を作る会社の「5分と5分の対等な共同経営者」だと宣言する5行の契約書に署名した。2人のビジネスパートナーシップの正式な始まりだった。
 
以来2人はチームとしてやってきた。94年に難しい妊娠でフィールズが安静にしていなければならなかったときはロダンが仕事をカバーし、事業に関する問題をすべて引き受けた。最初の出会いから33年経ついまも、2人は仲がいい。
 
2人の創業者にはお互いという存在があったが、資金はなかった。それを物語る一文が契約書にある。

「50ドルを超える経費については、発生前に両者の承認を要する」というものだ。ときには試作品に100ドル費やしてしまい、おむつ代が飛んでしまうこともあった。
 
そうやっていきついた処方を携え、市場調査をしている友人の助けを借りて商品テストを実施した。当初は香りと手触りが不評だったが、テストを通じて消費者にも注意を向けて改良。ニキビ治療薬が配合された高級美容クリームのような商品を生み出した。
 
こうした紆余曲折の大半は、夜や週末にロダンのキッチンで起きた。

「それが会社の名前になってもおかしくありませんでした。“ケイティのキッチン”なんてね!」とフィールズは笑う。
 
93年、2人はチャック付きポリ袋に詰めた新製品のプロアクティブを手に、ジョンソン・エンド・ジョンソン傘下の大手美容ブランド「ニュートロジーナ」に売り込みに赴いた。だが約1年後、同社がプロアクティブを買収するなら、商品の販売にはテレビの通販番組が適していると言われ、ぞっとした。

「そこまで陳腐な対応で済ませられる相手だとでも思ったの? 私たちは優秀よ。スタンフォードを出ているわけだし、悪趣味な通販番組なんてやらないわってね」
 
ロダンは当時を、そう振り返る。
 
だがその後、ニュートロジーナに提案を断られ、2人は途方に暮れた。それまでに2人は、外部からの投資を一切受けず、自己資金3万ドルを投じていた。

ほどなく、ロダンの母親が通販番組の会社「ガシー・レンカー」の共同創業者の伯母と知り合いになり、その紹介でビジネスの協議が始まった。95年、フィールズとロダンは同社にプロアクティブのラインセンスを供与。ガシー・レンカーはマーケティングと流通を担い、2人には売り上げの推定15%を使用料として支払うことになった。
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文=ケイト・ヴィントン 翻訳=木村理恵

この記事は 「Forbes JAPAN No.36 2017年7月号(2017/05/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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