祖先の遺伝子が蘇る 壮大な実験でわかった人間の順応力

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「親の悪いところが遺伝しまして……」肥満、糖尿、血は争えない性格に減らず口。しかし、祖先のすごい遺伝子が蘇ることもある。壮大な実験でそれが証明されたのだ。

アフリカ系アメリカ人はアフリカ人に比べて、高血圧が多い。ルーツは同じなのに、なぜ違いが出たのだろうか。理由は、アフリカから奴隷船に押し込められて海を渡り、重労働を課された人々は高血圧であるほうが脱水状態に強く、生き残れたからだ。これが進化論の自然選択説である。生き残るために有利な遺伝子が子孫に受け継がれるわけだが、時代が変わると徒となることもある。
 
人間は食物が乏しい状況でも生存できるよう、飢餓に耐えるための遺伝子を子孫に残してきた。しかし、飽食の現代、逆にこの遺伝子が災いして、エネルギーを体内に蓄えすぎてしまい、肥満症や糖尿病、心筋梗塞などの動脈硬化性疾患につながっている。
 
これら生活習慣病の多くは中年以降に発症するが、太りやすい体質などは遺伝子を介して脱落することなく子孫に受け継がれるのだ。一方、健康で長生きの遺伝子が自然選択されるとは限らない。
 
現代の人は座っている時間が長い。人々が日がな一日座り姿勢で体重を増やしてしまったのは、つい最近の話だ。人類は数十年前まで、もっと畑を耕し、もっと歩いた。それよりも昔の人たちは裸足に近い形で走っていた。いまでは信じられない話である。現代人は底が厚い靴を履いても膝や足を痛めてしまう。人間はこの数十年で退化してしまったのだろうか?
 
この疑問に答えるべく、壮大な臨床試験が行われた。「アメリカ西海岸から東海岸まで5000kmを120日間で走破できるか?」という実験だ。参加者は10人。2人は疲労骨折で早々にリタイア。それ以外の8人は見事完走したのだ。
 
この試験の前後でMRIを使って筋肉のサイズを細かく測定するなど、身体の変化を正確にみている。医師同伴ではあったが、案の定、参加者はいろいろなところを痛めた。膝9人、足首7人、足底6人、アキレス腱5人、まめ5人、シンスプリント(過労性脛部痛)5人、ふくらはぎ5人、大腿四頭筋4人。

しかし驚いたことに、怪我の76%は走り始めて30日以内に集中していた。それ以降、怪我の頻度は徐々に減り、最後の30日では誰も怪我をしていない。つまり毎日マラソンの距離を走るうち、身体がその過酷な環境に順応し得ることを示している。
 
最近「オーバーユース症候群」という言葉をよく耳にする。酷使することによる傷害だ。もしも、走り続けるための遺伝子が進化の過程で現代の生活では不要になり切り捨てられたとすれば、走行距離が進むにつれて傷害の頻度が多くなるはずだ。だが実際はその逆だった。

つまり、私たち現代人の体のなかに、走り続けるための遺伝子は引き継がれていることになる。自然選択により失われたわけではなかったのだ。ブルース・スプリングスティーンの「Born to Run」を思い出さずにはいられないのは私だけだろうか。


うらしま・みつよし◎1962年、安城市生まれ。東京慈恵会医大卒。小児科医として骨髄移植を中心とした小児がん医療に献身。その後、ハーバード大学公衆衛生大学院にて予防医学を学び、実践中。桜井竜生医師と浦島充佳医師が交代で執筆します。

文=浦島充佳

この記事は 「Forbes JAPAN No.36 2017年7月号(2017/05/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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ハーバード・メディカル・ノート「新しい健康のモノサシ」

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