たとえばあなたが大学の先生で、目の前にひとりの新入生がいるとしよう。「どんな研究がしたいの?」あなたの問いかけに、その新入生は、顔を赤らめ、モジモジしながら、「あの……えっと……」なかなか言葉が出てこない。
さて、先生であるあなたは、そんな新入生のことをどう思うだろうか?
「もっとしっかりしろよー」とイライラするだろうか。それとも、「初めて指導教官と話すから緊張しているのかな」と気遣うだろうか。あるいは、「すごく内気な性格だな」と納得するだろうか。
岡田美智男教授の反応は、まったく予想外のもので面白い。「こんなオドオドした感じのロボットがいたらかわいいかも」とアイデアがひらめき、「このモジモジ感を極めてみたい!」とテンションが上がるのだ。
豊橋技術科学大学情報・知能工学系教授の岡田美智男さんは、コミュニケーションの認知科学や人間とロボットとのかかわり方を専門としている。岡田さんは、2012年に発表した著書『弱いロボット』(医学書院)で、というコンセプトを提唱し、大きな反響を呼んだ。
「って何?」と疑問に思った人も、岡田さんが学生たちとつくったロボットを見れば一目瞭然だ。
なにしろ自分ではゴミを拾えないロボットや、人の目を気にしながら幼児のようにたどたどしく話すロボット、ただ手をつないで一緒に歩くだけのロボットなどなど、何の役に立つのかわからないロボットばかりなのである。
ところがこのロボットたちが、人の心をつかんで離さない。
たとえばは、ゴミを見つけると、体を(ゴミ箱に車輪がついた形状をしている)小刻みに揺らしながらエッチラオッチラ近づいていくものの、自分ではゴミを拾うことができず、ただペコリとおじぎをするような姿勢をとるだけである。
ところが不思議なもので、これを見ている人は、なんだか放っておけない気にさせられる。たまらず立ち上がってゴミを拾ってやると、ロボットはまたペコリとおじぎをするのである。
ネットにあげられた動画をみると、目の前のに子どもたちが大コーフンしているのがわかる。普段は片づけをしなさいとママに叱られているような子どもたちが、大喜びでゴミを入れている光景はなんとも微笑ましい。
動きもおぼつかなければ、ひとりではなにもできない。そんなローテクなロボットがなぜここまで人の心をつかむのだろう。
『の思考 わたし・身体・コミュニケーション』(講談社現代新書)は、この頼りないロボットを通じて、コミュニケーションの本質について考えた一冊だ。
そもそもこれまでのロボットは、「便利で高性能」であることが前提とされてきた。岡田さんがある展示会にロボットを出展したところ、技術者たちからの質問は、「それはどんな目的で設計されたものなのか」という視点からのものばかりだったという。
岡田さんにしてみれば、「すみません、まだなにもできないロボットなんです」と答えるしかない。ところがそのかたわらで、親子連れや子どもたちは、岡田さんのロボットを取り囲み、夢中で撫でたり話しかけたりして盛り上がっていたという。