「何もしてくれない」ロボットが人間に教えてくれること

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ここに、を考える上で、とても大切なヒントがあるように思う。これまで開発者たちは、「○○してくれるロボット」ばかりつくってきた。それは『鉄腕アトム』の時代から我々の頭に沁みついた「常識」のようなものだ。だが、そのコンセプトは本当に正しかったのだろうか。

この「○○してくれるロボット」という枠組みからなんとか抜け出せないかと考えていた岡田さんは、ある日たまたま、ママの胸に抱っこされてあくびをしている赤ちゃんの姿を目にする。そしてこんなことに気づくのだ。

赤ちゃんはひとりではなにもできない。にもかかわらず「ママがそばにいてくれるから大丈夫」と、周囲とのに対する絶対的な信頼感を持っている。赤ちゃんというのは、なにもできない“弱い存在”だが、ちょっとぐずることで、周囲からの手助けを上手に引き出し、ミルクを手に入れ、移動もできてしまう。

家のなかではもっとも“弱い存在”なのに、いちばん“強い存在”であったりする。このギャップは面白い……。

「ママに抱っこされてあくびをする赤ちゃん」というありふれた光景からでも、岡田さんはこんなふうに他人が気づかないヒントを見つけ出してしまう。そしてこの気づきが「ちょっと手のかかるロボットはどうだろう」というアイデアをもたらし、「ロボットからなんとか弱さを引き出せないか」と試行錯誤がはじまる。「あれもできるこれもできる」ではなく、「あれもできないこれもできない」という“引き算の発想”でのロボット開発である。その結果、生まれたのがというわけだ。

「弱さをオープンにすることで周囲の手助けを得ることができる」というコンセプトは、裏返せば、「周囲の助力を得るには、弱さは大きな武器になる」ということでもある。もちろんこれは人間同士のコミュニケーションにもあてはまる話だ。を通してみえてくるのは、他者と共生するためには、を肯定することがポイントになるということである。

いつの頃からか、「勝ち組」という言葉を恥ずかしく感じるようになった。考えてみれば当たり前の話だが、「勝ち組」なんて、社会の条件がちょっと変わるだけで、がらりと顔ぶれが変わってしまう。所詮その程度のものに過ぎない。

未来永劫、勝ち続けることなど不可能だし、そもそも人間という生き物自体、死を前にした時は、誰もが弱々しい存在になり、を運命づけられている。「勝ち組」という言葉は、実に短絡的で、傲慢だ。にもかかわらずわたしたちは、「勝ち組」を羨み、の大切さを忘れてしまっていた。

わたしたち人間は、そもそもどういう存在であったか。はどうやら、わたしたちに忘れていた本来の姿を教えてくれているらしい。

人間は自立した強い存在ではない。常にまわりの環境からの影響を受けながら生きざるを得ない弱い存在である。

ならば、強くあろうとすることをやめてしまったらどうだろう。“弱さ”をオープンにし、まわりに委ねてみる。そんな生き方が当たり前となった社会を構想してみてはどうだろうか。

“弱さ”が肯定され、誰もがごく自然に他者に手を差し伸べあう社会。もしそんな社会が実現するのであれば、頼りないたちと共に暮らす未来も、悪くないと思うのだ。

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文=首藤淳哉

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