カラニックの辞任が、偏見やハラスメントのない職場を目指す私たちが望み得る最大の勝利だったとは、私は全く考えていない。
改革か辞任か
カラニック自身が変貌を遂げていれば、より力強く前向きなニュースとなっただろう。良識が通じない男性中心主義のスタートアップ幹部でさえも、個人としての変革は可能だということを示せたはずだ。また、成長の機会を与えられたリーダーは、その機会をつかみ、文化を変えられることを示せただろう。
結局のところ、多くの──いや大半の企業文化が、変革を必要としている。こうした企業の中には上層部を入れ替える余裕がない会社もあり、その場合は既存経営陣に対しコンプライアンス(法令順守)の促進、説得、規制をしなければならない。
成長
私はかつて、とても賢明なあるメンターから、ビジネスでは皆が成長の機会を与えられるべきだ、と言われたことがある。カラニック、そしてウーバーに成長を許す人がいたとすれば、それは同社取締役を務めるアリアナ・ハフィントンだ。彼女もそうしようとしていた矢先だったと私は考えている。
もしそうなっていれば、ウーバーはシリコンバレー、未公開株式企業、米ウォール街、中小企業にとって新たな類いの手本となったはずだ。さらにはウーバーの車が走る世界中の全ての街に対し、変化を起こすことは可能で、利益性もあり、今すぐ実行しない言い訳はないことを示す模範となれただろう。
また、トラビス・カラニックはつい最近、母の死と父の大けがという大きな悲劇に見舞われた。こうして大切な人を失った時、多くの人はアイデンティティーの転換点に直面する。つまり、カラニックは本当の意味での変化・変革が可能な状況にあったのだ。私は彼が次の取り組みでこの機会を生かすことを望んでいる。