創造という秘密の行為[田坂広志の深き思索、静かな気づき]

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では、「自分の考えつくアイデアの数には限りがある」「アイデアが枯渇してしまう」といった無意識の自己限定を外し、「自分の中から、アイデアは、泉のように湧き上がってくる」という感覚で潜在意識を満たすには、どうすれば良いのか。

誤解を恐れずに言えば、そのためには、一つの信念を心に抱くことであろう。

「アイデアとは、自分という小さな存在が生み出すものではなく、大いなる何かから降りてくるものである」

もし、我々が、そうした感覚を心の奥深くに信念として抱くことができたならば、アイデアは、不思議なほど、降りてくる。

これは、決して、何か神秘主義的なことを述べているのではない。実際に、そうした「大いなる何か」が存在するか否かは、誰も証明できない。

しかし、古今東西の才能に溢れ、創造性に溢れた思想家、学者、芸術家、発明家、実業家などの発想法を調べてみると、その多くが、「アイデアが、どこかから降りてくる」という感覚を持っていたことは、密やかな事実である。

筆者は、それほどの才能に恵まれた者ではないが、ささやかながら、20年間に80冊余りの著書を上梓し、テーマも、未来予測と社会動向、資本主義と経営戦略、情報革命と知識社会、働き方と生き方など、多岐にわたって様々なメッセージを語ってきた。しかし、いま、これらの著書を手に取って見るとき、「これは、自分が書いた本なのだろうか」という不思議な感覚に包まれる。

それらの著書は、いずれも、核となるアイデアが降りてきた瞬間に、必要な情報が自然に集まり、編集者との対話が深まり、そこに書物としての構成が創発的に生まれてきたものである。

では、創造性のマネジメントにおいて、「アイデアが、大いなる何かから降りてくる」という感覚が大切であるとするならば、我々は、どのようにして、そうした感覚を研ぎ澄ましていくことができるのか。

その答えを示唆する一つの言葉が、かつて、板画家、棟方志功が語った言葉であろう。

「我が業は、我が為すにあらず」

しかり。いま自分が成し遂げようとしている仕事は、実は、自分が成し遂げようとしている仕事ではない。大いなる何かが、自分という存在を通じて、世の中のために、成し遂げようとしている。

その感覚を心に抱くとき、不思議なほど、様々なアイデアや発想が、心に浮かんでくる。

そして、その小さな個を超えた感覚こそが、古くから、「使命感」と呼ばれてきたものであろう。

田坂広志の連載「深き思索、静かな気づき」
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文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN No.35 2017年6月号(2017/04/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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