ビジネス

2017.06.16

アシックス復活の立役者が「ふたりの父」から学んだこと

アシックス代表取締役会長兼社長CEO、尾山 基(写真=佐藤裕信)


一方、尾山は01年、大赤字を出していた欧州の法人社長に就任し、翌年に往年の名作「オニツカタイガー」をブランドとして復刻発売。天然皮革を使うなど素材や質にこだわり、高級ブティックやセレクトショップに販路を限定した。

決め手は03年に公開された映画『キル・ビル』だ。主演女優のユマ・サーマンが黄色のオニツカを履いたことから、海外で爆発的にヒットした。虎は完全に眠りから目覚めたのである。

そんな尾山が最も影響を受けたのはやはり創業者の鬼塚だ。

「鬼塚は49年に個人事業でスタートし、翌年には当時最もつくるのが難しいといわれたバスケットボールシューズ(バッシュ)を発売しているんです。『最初に高いハードルを越えられれば、その後のハードルもどんどん超えられる』と。しかも当初は問屋にも小売りにも相手にされず、自分で全国の競技会場を営業したというんですから、並々ならぬ企業家精神ですよ。振り返れば、自分も高いハードルに次々と挑戦させてもらったんだと思います」

中学時代にバスケットに熱中していた尾山は、赤い線の入ったオニツカタイガーのバッシュを履いていた。その当時のトレンドを、経営者のバトンを受け継いだ尾山自身が復活させたのは、不思議な因縁と言えよう。

もうひとり影響を受けたのが、金沢で材木商の取締役を務めていた実父だ。仕事に実直な背中を見て、経営者になることを幼心に決めたという。「父がよく言っていましたが、『スナックで評判の悪い会社は本当にあかん』と(笑)。日本人は酒場で会社や上司の悪口を言う人が多いけれど、公共の場での言動は企業人ならよく考えるべきですね」。

タイプの違うふたりの父は、さまざまな教えを尾山に残した。それは偶然にも幼いころに脳裏に焼きついた2つの言葉とも合致していた。


尾山 基(おやま・もとい)◎1951年、石川県生まれ。74年、大阪市立大学商学部を卒業後、日商岩井を経て、82年アシックス入社。マーケティング統括部長、アシックスヨーロッパB.V.代表取締役社長などを歴任し、2008年より代表取締役社長。2011年よりCEOを兼任、17年より現職

文=堀 香織

この記事は 「Forbes JAPAN No.31 2017年2月号(2016/12/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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