キャリア・教育

2017.06.12 08:30

全盲の水泳選手の「メダル獲得」を支えた元編集者

後藤桂子 フリースタイル代表取締役(photograph by Akina Okada)

2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックの競泳(視覚障害)で、ある日本人選手の活躍が話題になった。全盲の木村敬一が、メダルを4つ獲得したのだ。

彼はいかにしてメダルに辿り着いたのか。彼のコーチは、こんなことを言う。「後藤が用意した八ツ橋がなければ、木村は4つもメダルを獲れなかった」。

後藤桂子(53)が営む「フリースタイル」に木村がやってきたのは、12年のこと。「リオのパラリンピックで金メダルを狙う」と、後藤の夫で400メートル自由形の元日本記録保持者の野口智博に師事したことがきっかけだった。金メダルを獲るためには、生活の全てをかけて臨まなければいけない。野口は、身の回りのサポートの全てを後藤に任せた。

意外にも役立ったのが、雑誌編集の経験だった。編集は、カメラマンの手配、取材のアポ取りなど、記事を作るために必要なものを全て揃えることが仕事だ。

後藤は、金メダルを獲る、という木村の目標を雑誌の企画と同じように見立てた。そして、私生活から競技、木村への取材依頼への対応からチームスタッフのとりまとめに至るまで、ありとあらゆる面を管理したのである。

「最初の頃は、木村に会うたびに牛乳を渡していましたね」。木村は、自分の目で賞味期限を確認できないため、乳製品など足の早い食品を口にしていなかったのだ。体重の増減などにも、毎日細心の注意を払った。時には、恋愛相談にのることさえあった。

息子と母親のような関係なのかと問うと、少し違う、と後藤は答える。「キム君は、私を見守り役のような存在だと思っているはずです」

それに、と付け加えた。

「自分の子供ならここまでしません」

そして迎えた、16年のパラリンピック。後藤は木村の荷物に京都の銘菓・生八ツ橋を忍ばせていた。

「海外の慣れない土地で過ごすことは、相当なストレスになる。自分の故郷・滋賀県に近い土地の食べ物を口にしたら、気持ちが落ち着くんじゃないかと考えたんです」

万全の状態で挑んだが、中盤から木村は体調を崩し、食事ができなくなってしまった。部屋で一人休んでいたとき、木村はふと、スーツケースのなかに生八ツ橋を発見する。気づくと、無心でそれを食べていた。その様子に気づいたトレーナーが、興奮気味に後藤に連絡をしてきた。

「生八ツ橋が役に立ちました。木村君がやっと食べ物を口にできたんですー」

元編集者として、母として。後藤はこれからもアスリートを高みへ導いていく。


後藤桂子◎1964年生まれ。旅行代理店勤務後、旅行誌『GULLIVER』に、フリーのライター・編集者として携わる。シドニー・オリンピックなどで水泳の解説を務めた野口智博と結婚後、2000年にトップアスリートのサポートなどを行うフリースタイルを設立。2児の母。

文=吉田彩乃

この記事は 「Forbes JAPAN No.35 2017年6月号(2017/04/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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