米大統領の「フェイクニュース」批判が信用できない理由

Photo by Mark Wilson / shutterstock.com


「信用がゼロになる」

私は遠い昔(恐竜が絶滅した直後、私が実業界入りする前のことだ)、ホノルル・マガジンのジャーナリストとして働いていた。その際、編集者から叱責を受けた日のことを、今でも覚えている。

私は執筆した長文記事の中で、名前のつづりを1か所だけ間違えてしまった。編集者は強い口調で私に言った。「読者は『こんな単純な間違いをする人間は、他にどんな間違いをしているか分かったものではない。こんな人間が書くことは信じられない』と思うだろう。君の信用がゼロになってしまう。私たちの信用もゼロになる。こんな間違いは絶対にしてはいけない!」

言われたことは理解できた。編集者が100%正しく、私が100%悪かった。私は基本的なルールを守れなかった報いを受けて当然だった。しかし私がここで言いたいのは、誰が正しいか間違っていたかではなく、真面目なジャーナリストたちが一般的に持つ勤勉さや特徴だ。

たった一つの誤字ですら、編集者の(そして私の)1日を台無しにするに事足りた。そして、その頃ジャーナリズム業界で私が出会った人々は、編集者と同様、慎み深く、働き者で、正確性を大切にし、正しいことを行いたいと考える人々だった。

私が知るジャーナリストたちが完全無欠だったかというと、もちろんそんなことはない。時には失敗もあった。私は、ジャーナリズムは「歴史を初めて記録する荒削りな草稿」であるという古いことわざが好きだ。締め切りの重圧の中、不正確さは簡単に忍び寄る。しかし、意図しない不正確さは、恣意的な嘘や偽情報とは全く別物だ。

私がジャーナリズムの分野を離れて30年以上になるが、もし大統領の主張を受け入れるなら、この30年の間にジャーナリズムに携わる人々の性質が完全に変わってしまったということだろうか?

ジャーナリズムは、正確性が絶対に重んじられる分野から、病的な嘘つきばかりの狡猾な集団に変わってしまったのだろうか? 特定の政治的目標を推し進める以外への関心を失ってしまったのだろうか? とてもではないが、そうは考えられない。

編集=遠藤宗生

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事