014年に日本上陸50周年を迎えたグッチ。パトリツィオ・ディ・マルコは、この記念すべき年に同社の社長兼CEOを務めるに最もふさわしい人物といえるだろう。その答えは簡単だ。日本語はおろか、関西弁をも操ることができる、筋金入りの日本通だからだ。
「18歳のとき、海外留学の奨学金制度に応募して受かったのですが、留学先の選択肢が日本、メキシコ、スウェーデンでした。私は2秒でひらめいて日本を留学先に決め、1年間東京で留学生活を送りました。その後帰国して大学院を卒業したとき、P&Gにも内定をもらっていたんですが、GFTというテキスタイルの会社に入って日本で勤務する道を選びました。東京と大阪を行き来しながら、社員80人のなかで唯一の外国人として2年間、さらにプラダ・ジャパンで3年間働きました。計6年の日本での経験は本当に素晴らしいものでした」
(中略)
インタビューのなかで、ざっくりと投げた質問へのディ・マルコ氏の回答は、彼の日本に対する深く熱い思いを、図らずも雄弁に物語っていた。その質問とは「グッチにとって日本での50年はどういうものだったのか?」というものだが、彼は何と30分超をかけて、壮大にして詳細なクロニクルを開陳してくれたのだ。
「日本における50年は非常に素晴らしいものです。その立役者は間違いなく茂登山長市郎さん(サンモトヤマ創業者)です。1960年代初頭、彼と当時のグッチ一族、バスコ・グッチやアルド・グッチとの出会いは、日本にグッチを紹介するきっかけになりました。(中略)彼の尽力により、64年に銀座にグッチブティックをオープンすることができました」
その後も、80年代の御家騒動でブランドの権威が失墜したこと、90年代後半からのドメニコ・デ・ソーレ&トム・フォード体制で売り上げは伸びたが、日本で売れていたほとんどがロゴ入り(GGキャンバス)の小物だったことなどを、ディ・マルコ氏はゆっくりと、言葉を確かめるように語ってくれた。栄光の歴史のみならず、暗い過去にも蓋をせず真摯に語るその姿からは、彼のゆるぎない経営哲学が垣間見える。
「ロゴ入りのファブリックを財産としてもつブランドは、ルイ・ヴィトンとグッチしかありません。ルイ・ヴィトンはそれを宝のように守ってきたことで、品質やものづくりの精神を伝える重要な素材として機能しています。しかし、グッチはそれをすぐ売り上げにつながるものとして簡単に使いすぎたのです。だからこそ、私がCEOに就任してからの5年、ブランド変革に注力してきました。グッチの本質とは、レザーとクラフトマンシップであり、かつモダンなファッションであることを徹底的にみつめ直したのです。その結果、いまでは売り上げの70%がレザーアイテムで、GGキャンバスでないものになりました。特に日本ではレザーアイテムの比率が、世界中で最も高くなっています」
大胆に、力強くブランド改革を進めるディ・マルコ氏。では日本における次の50年について、何を見据えているのだろうか?
「この改革を続けていくことが大事だと思います。グッチらしいクラフトマンシップ、ファッション、そして社会的責任についてもより強化していきたいですね。日本においては、私も尊敬する伝統工芸への支援や、東日本大震災で被災した子どもたちへの奨学金支援などを行っていきます。それらを続けていけば、きっと日本のみなさんにもグッチの素晴らしさをより深く理解してもらえるようになると思っています」
日本語が堪能なディ・マルコ氏。最後に「最も好きな日本語は何ですか?と聞いてみた。
「2つのことわざが好きですね。1つは『能ある鷹は爪を隠す』。自信がなくてはならないし、でも謙虚でいなければならない。もう1つは『猿も木から落ちる』です(笑)」