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フリーランスライター

2013年に元縫製工場を改装し、設立された神山バレー・サテライ トオフィス・コンプレックス内にて。 「物事の分岐点で、2つの選択肢があったら、私は必ずワクワクする方を選んでいます」。

人口約5500人、高齢化率約50%。日本の典型的な過疎地に、続々と人と企業が集まる。民間主導で30年来町おこしを引っ張ってきた大南信也に、その原点を聞いた。


「自分の『手届き』にあるかどうか。行動を起こす時はいつも、それを考えています」と、NPO法人グリーンバレー理事長大南信也(63)は語る。手届きとは徳島県神山町でよく使われる言葉で、手の届く範囲内、自分が責任を取れる範囲内という意味だ。

「手届きにあることを続けているうちに協力してくれる人が現れて、自然と活動が展開していく。グリーンバレーの活動は、そうやって広げてきました」。

1953年、大南は4人兄弟の長男として、徳島県神山町に生まれた。父は建設会社の社長。家業を継ぐ前に、一度でいいから海外で生活をしてみたい。そんな思いから、大学卒業後の77年、大南は建設のマネジメントを学ぶため、カリフォルニア・スタンフォード大学院へ留学する。奇しくも、現地ではシリコンバレーが黎明期を迎えていた。

親元を離れてカリフォルニアの開放的な雰囲気を謳歌する一方で、大南は、IT企業と果樹園が混在するシリコンバレーの様子を目の当たりにして、神山町を発展させるヒントを得た。「スティーブ・ジョブズはApple 2を発表し、人々が熱く動き出している時代。何もない場所でも、人材の集積が何かを生むのではないかと思いました」。

79年に帰国後、大南は神山町に人を集める方法を模索し始めた。観光客の集まる大分・湯布院へ視察に行ったりもしたが、神山町には集客能力のある資源がないので参考にならない。考えあぐねていた矢先の90年、思わぬ出来事が大南の活動の転換点となる。

外国人が神山町の風景の1つに

PTAの会合で訪れた母校神領小学校で、大南は日米友好親善人形「青い目の人形」に出会った。人形は、戦前、日本人移民の排斥問題を背景に日米関係が悪化していた中で、親日家から友好の印として日本全国の小学校や幼稚園に贈られてきたうちの一つ。人形の里帰りが実現すれば面白いことになるのではないか。

大南はなんとか人形の贈り主を探し出した。贈り主はすでに他界してしまっていたが、人形とともに30人の有志を引き連れてペンシルベニアまで渡った。現地であたたかく迎えられ、一行にとっては外国の文化に触れる貴重な機会となった。

田舎の小さな町でも、海外交流はできる。大南はそう確信すると、帰国するやいなや、後のグリーンバレーの前身となる神山町国際交流協会を設立。小中学校で子供たちに外国語を指導する若者を英語圏から迎え入れる活動を始めた。初めは、外国人が神山にいることに町の人も驚いていた。

「新しいものを生み出す時に邪魔をするのは、枠組みです。ここは外国人がくるような場所じゃない、という固定観念をなくすにはどうしたらいいか。それは、続けることです。彼らが神山町の風景の一つとして馴染むまで続ける。すると、自然と神山町は外国人に向けて開かれた土地へと変わっていった」。

外国人を受け入れてしまえば、県外の移住者を迎えることは簡単だった。地上デジタル放送完全移行に向けた県の政策で、県全体に光ファイバーが張り巡らされていたことも好材料になり、SansanなどのIT企業がオフィスを置く場所として注目を集め(現・16社)、移住者も増えてきた。

外からの人を受け入れれば、新しい価値観や文化が流れ込んできて、自然と枠組みが広がってきた」。起業家、移住者、地域住民が形成するコミュニティから先進的なアイデアが生まれる「創造的過疎地」が大南の目指す神山町だ。

文=吉田彩乃 写真=宇佐美雅浩

 

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