意外なことに、本書で小林さんが提案するのはスキルやノウハウなどではない。この理不尽極まりない社会にあって、最終的に自分を支える最大の武器となるもの──。それは「幸せの記憶」だというのだ。
「だってそうじゃないですか。自分は幸せだと感じていれば、どんな困難だって切り抜けられますよ」
では、「小林さんにとっての幸せな記憶は?」と問うてみた。一瞬、何かを思いだすような目をした後、彼女は微笑みながらこんな話をしてくれた。
「子どもの頃、私はね、母から『あなたは図々しい子ねー』と言われてたの。なにかというと母に、『お母さん、こんなに綺麗な子に産んでくれてありがとう』『こんなに頭がよい子に産んでくれてありがとう』と言うものだから、母が呆れてなんて『図々しい子!』と(笑)。あ、念のため言い添えておくけど、もちろん綺麗とか頭がいいなんていうのは、私の主観だからね。自分でそう思ってるんだから客観的な評価は関係ないからね(笑)」
なんとポジティブな人だろう。もちろん客観的にみて彼女が魅力あふれる女性であることは言うまでもない。もうひとつ客観的な事実を付け加えておくなら、小林さんは女性としてこれまでさまざまな困難に直面してきた。
たとえば東大を出て長銀に入った当時、女性初のエコノミストとして入行したにもかかわらず、彼女の身分は「高卒5年目」だったという。この時、彼女がぶつかっていた天井は、ガラスですらなかったかもしれない。こうした絶望的な状況のなかにあっても、彼女は冷静に事を見極め、ポジティブに人生を選択してきたのだ。
彼女の話を伺ううちに、いつしか不思議な思いにとらわれていた。小林さんは確かに日本人なのだが(しかもそのチャキチャキとした口ぶりは下町のおかみさんみたいだ)、彼女と話していると時折、アメリカ人を目の前にしているような感覚をおぼえてしまうのだ。もう少し正確に言うなら、「アメリカ社会の良質な部分を体現した人」と言えばいいか。
オプティミズムはアメリカ社会を象徴する言葉だ。なにかに挑戦する人を応援し、失敗を許容する寛容さを持っている。人生は楽しむもので、困っている人がいれば手をさしのべる。「古き良きアメリカ」はもはやノスタルジーの中にしかないかもしれないが、小林さんの言葉や姿勢には、こうしたアメリカ社会の良き部分が現れていると思う。
小林さんが本書で描き出したアメリカ社会の現状は絶望的もいいところだ。しかも数年後には日本でもこのような社会が到来するのかと思うと気持ちが沈む。最後にどうしても彼女に訊きたいことがあった。
「こんなに絶望的な社会になっても、それでもアメリカの可能性を信じますか?」
「ええ、もちろん。必ず活路を見出します。必ず」
一瞬の迷いもない、即答だった。
インタビューを終えて外に出ると、生暖かい夜風が肌を撫でていった。それはまるで平和の裡にまどろむこの街の体温のようだ。そう遠くない未来に、この国にも絶望的な社会が到来するかもしれない。だが小林さんの言葉を聞いたいま、その足取りは少しだけ軽くなっていた。
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