「世界一のソフトば作りたか」。急かされるように大学を辞めた二十歳の私は、昼夜問わずソフトウェアの開発に没頭していました。時は1980年代前半、国内でインターネットが普及し始める十数年前のことです。
仲間と開発したソフトは大ヒットしましたが、皮肉にも成功を期に、会社運営の難しさに直面。次世代のソフトを開発したい私たち開発チームと、売り上げを上げたい経営陣の間に生じた溝は埋まらず、私は、将来の起業を視野に会社運営を学ぼうとロータス社に転職しました。
仕事の傍ら、起業に向けたビジネスプランを練り続け、ちょうど2本目のプランが完成したころです。ロータス社がIBMに買収されることになり、そのまま仕事を続けるのか、辞めるのかを悩みました。気づけば入社して8年。環境が変わることで押し出されるように起業するのは、本意ではないと思いつつ、誰かに背中を押してほしいという気持ちがあったことも確かです。何しろ「イヤならやめろ!」というタイトルの本を手にしたくらいですから(笑)。
結局、私はその後3年間、サラリーマン生活を続けました。背中を押してくれるかと思った本書から、「本当にイヤだと思うほどやってみたのか」と問われ、“YES”と答えられなかったからです。
それからの3年間は、イヤと思うほどやり抜きました。この3年間がなければ、今の私はないと断言できます。特に、世界的なIT企業を次々と生み出す米国から学んだのは「投資」による起業です。
当時の日本企業は、運転資金を「融資」で調達していたため、売り上げを上げることを優先し、研究開発を進められないという悪循環に陥っていました。その一方で、ドットコムバブル真最中の米国では、数ミリオンドル(数億円)単位で資金を集めた友人たちが、優秀な人材を集め、ビジネス化に成功していたのです。
私がインフォテリアを創業した際に、融資ではなく「投資」で27億円に上る資金を調達できたのは、この3年間の経験があったからこそです。集めた資金を元に、開発に集中し、スピード感をもってビジネスを軌道に乗せる─。今では、日本にもベンチャーキャピタル(VC)やエンジェル投資家が育ち、起業しやすい環境が整ったと言えるでしょう。
さて、資金調達を進めていたときに驚いたのは、わが社に投資してくれたVCに、堀場氏が出資していたことでした。間接的とはいえ、本を通じてメッセージを送ってくれた堀場氏が株主に!です。それからは事業報告を兼ねて半年に一度、堀場氏の元に足を運び、直接ご指導いただきました。「自分の好きなことを、とことん突き詰めてやることや。そうすれば、必ず未来は開ける」。これからは、私が若い世代に伝えていく番ですね。
title:イヤならやめろ!
author:堀場雅夫
data:日経ビジネス人文庫 600円+税/240ページ
平野洋一郎(ひらの・よういちろう)◎1963年生まれ。大学を中退し、ソフトウェア開発会社のキャリーラボに入社。87年、ロータス(現IBM)に転職し、製品企画、マーケティングに従事。98年、インフォテリア設立。2007年東京証券取引所マザーズ上場。