数々のゴルフコースでプレイしてきた筆者が、歴史あるアイルランドでもベストコースとの呼び声高いラヒンチの魅力を語る。
アイルランドのリンクスの魅力は語り尽くせない。その珠玉のひとつが、日本ではあまり知られていないラヒンチ・ゴルフ・クラブであろう。世界で「ラヒンチがいいよね」と言うゴルファーに出会うと、本物を知っているなと尊敬の度合いがぐっと上がってくる。マニア同士の酔狂と理解しつつ、リンクスを愛する同好の士として涙が出てくるものである。
我々がアイルランド西部のシャノン空港に降り立ち、「やっぱりレンタカーはレンジローバーだろう」とアップグレードをして、最初に寄ったのがここ、ラヒンチだった。夜の10時過ぎのアイルランドはまだまだ明るい夕方という感じだが、飲食店は軒並み閉店していた。唯一営業していた中華料理屋に入り、温かいスープなどで暖をとりながら、明日以降の大チャレンジに胸を躍らせた。
世界トップ10にも入ろうかという高い評価を得ているラヒンチは、1892年創立である。リメリック・ゴルフ・クラブの創設者でもあるアレキサンダー・ショウとリチャード・プラマーが、リスカナーロードと呼ばれる道路の両側に9つのホールをつくったことが始まりだ。
今までにトム・モリス・シニア、アリスター・マッケンジー、マーティン・ホーツリーの3人が改修に関わっている。まず1894年に、モリス・シニアが陸側にあったホールの一部を海側へ移した。現存している4番パー5・通称「Klondyke」と、5番パー3・通称「Dell」は、珠玉の名ホールである。
1927年には、マッケンジーが新しいレイアウトと三段グリーンを導入。彼は後にアメリカへ渡り、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブやサイプレス・ポイント・クラブ、ロイヤル・メルボルン・ゴルフクラブなど数々の名作をつくり上げている。それらに先んじて手がけたラヒンチの格も上がろうというものだ。
さらに99年、ホーツリーはラヒンチの近代化を目指し、4つのホールをリルートした。166ヤード・パー3の8番、170ヤード・パー3の11番ホールの2つにもうひとつパー3を付け加え、現在のラヒンチの形を整えた。
ご多分にもれず、ラヒンチはオールド・コースとキャッスル・コースの2つからなる。パー4はどれも大変難しく、一流のプレイヤーでも手を焼く。アイルランドのベストコースの名にふさわしい。