しかし、転売目的の投機家もいろいろ知恵を絞ってくるので、昨年の「アート・バーゼル」で、某画廊はある奇策に打って出た。数十名のウエイティングリストを持つある人気作家の2億円クラスの作品(転売すれば3億円は確実)を売るにあたり、画廊は作家と話し合ってこのリストを数人に絞り、「もう1点作品を購入し、うち1点を公立美術館に寄贈する」条件を受け入れるコレクターに作品を売却した。コレクターの熱意と公共性を試す、なかなかスマートな解決策だ。
ちなみに、アートには教科書ではなく、口コミでしか覚えられないルールも多くある。自分自身も数々の苦い思いを味わった。1980年代末にこの世界に入って、ミロの版画を纏めて仕入れたときだ─。人気のある図柄、状態もいい、仕入先も版元と申し分ない。ただの一点を除いては……。
作品全点にHC(Hors Commerce、非売品)と記入してあったのだ。ミロの場合はHCの贋物が出回っているので、オークションや業者がHCを受けつけたがらないことを知らなかった。真っ青になったが、後の祭り。作品はホンモノなのでクレームの持っていき場がない。必死に売ったが、何点かは自宅の壁を飾ることになった。
作品を単に装飾品として捉えるのではなく、アーティストの哲学の体現と考えることができるコレクターは、結果的に投資としても成功している。
有名な例は、ピカソの名作「Le Rêve」(夢)。1942年に7000ドルで買ったのはピカソの著名コレクター、ガンツ夫妻だった。クリスティーズの250年史によると、現在の貨幣価値で10万9000ドルという確かに思い切った買い物だが、小さなコスチューム用宝飾製造業を営んでいたガンツ夫妻でも買える金額だった。
それが1997年に4800万ドルで日本人、その後ラスベガスのカジノ王の手を経て、2013年にヘッジファンド王スティーブ・コーエンの手に1億5000万ドルで渡るという数奇な運命を辿った。一億ドル越えのピカソを買えるのはすごいが、最初に7000ドルで買った眼力のほうがすごいかもしれない。
パブロ・ピカソ50歳の傑作《Le Rêve》1932年 ©︎2017─Succession Pablo Picasso ─SPDA(JAPAN)
【前回記事はこちら】
石坂泰章◎AKI ISHIZAKA社長。東京藝術大学非常勤講師。総合商社勤務、近現代美術画廊経営を経て、2005〜14年サザビーズジャパン代表取締役社長。数々の大型取引を手掛ける。著書に『巨大アートビジネスの裏側』(文春新書、2016年)、『サザビーズ』(講談社、2009年)。