スターバックスの創業者たちが何度もアイデアを出し合い、同社黎明期のアイデンティティーを作り上げていった過程は、後に次々と誕生した新興インターネット企業の役員たちが行ったのと同じ、「名前とグラフィックでいかに企業アイデンティティーを確立するか」という問いへの取り組みだった。
今私たちが「アーティザン(職人)コーヒー」と呼ぶ良質なコーヒーの概念を考え付いたのは、旅慣れたシアトルの記者、ゴードン・バウカーだった。新たなコーヒーブランドの立ち上げに際し、バウカーとヘクラーは、他とは一線を画す冒険心、とりわけ米国本土の最北西端というシアトルの位置を反映する航海の歴史を体現した店にしたいと考えた。
米文学を代表する作品の一つ、ハーマン・メルビルの『白鯨』に彼らがたどり着くまでには、そう長くはかからなかった。同作でメルビルは、巨大な白鯨モビー・ディックを追うエイハブ船長を通じ、不可能とも思われる目標に向けただひたむきに進み続けるという献身を描いた。
物語の語り手はイシュメール、船の名はピークオッド号、一等航海士の名はスターバックだ。だが今私たちが飲むコーヒーの名はモビーでもピークオッドでもなければ、イシュメールやエイハブでもなく、スターバックスだ。
その理由は、ヘクラーとバウカーに商品名に関する知識があったからもしれない。2人は、破裂音の「P」や歯擦音の「S」といった子音を使った名前が一番覚えやすいと感じたのだ。
創業者らは、名前とテーマを決める一方で、商品の準備も進めた。バウカーは当時、車でカナダのバンクーバーまで行きコーヒー豆を買っていたが、創業者らはシアトルで事業を立ち上げるなら地元で豆を焙煎する必要があることを認識し、市中心部からフェリーですぐのバション島に焙煎施設を新設した。今で言うマイクロロースターだ。
ヘクラーは古い文献を読みあさり、セイレーン(ギリシャ神話に登場する海の精)や妖精、水の精、人魚の絵を調べた。最初のロゴは茶色で荒々しく、描かれた人魚は胸を露出し、二股の尾を見せていた。
スターバックス1号店に今も残る初代ロゴ (Courtesy of Starbucks)
1992年には色が明るい緑色に、デザインもソフトになり、胸は髪で隠され、尾は体を囲む模様となった。2011年にはロゴから完全に「STARBUCKS COFFEE」の文字が消え、人魚のデザインは様式化されて冠をかぶったプリンセスとなった。
スターバックスの現在のロゴ (Courtesy of Starbucks)
これは、ナイキのように社名よりもロゴを全面に押し出すブランド戦略なのだろうか? それとも、最先端のコーヒー体験を提供し続けることに苦心していることの表れなのか? あるいは、世界各国でさまざまなコンセプトを展開するスターバックスブランドには、もはや文字は不要だとの考えに基づいたものなのだろうか?