中国の2016年末の外貨準備高が3兆105億ドルと、前年末に比べて3300億ドルの減少となった。外貨準備高がピークであった14年6月の4兆100億ドルに比べると25%もの減少となる。
とはいえ、3兆ドルの外貨準備高は、2位の日本・1兆2000億ドルの3倍近くの金額で、断トツの世界1位である。したがって、この2年半あまり継続している外貨準備高の減少がすぐに“通貨危機”に結びつくわけではない。図1で中国と日本の外貨準備高を示している。中国の外貨準備残高が03年から14年にかけて急激な上昇をしているのがわかる。
中国による14年以降の外貨準備減少は、資本流出による人民元の下落の程度を緩やかにするためにドル売り介入を続けた結果である。人民元は、14年1月に1ドル6.04元の最高値をつけてから、下落が続いている。16年12月末には、1ドル6.95元となり、前年末比7%、最高値比で15%も下落している。図2で1ドルあたりの人民元の水準の推移を描いている。
中国は05年7月、固定為替相場制度をやめて、変動を許すようになったあとも、一日当たりの為替レートの変動を小さく制限する一方、資本規制を適用して短期の人民元投機がおきないようにしてきた。08年夏まで、毎日少しずつの増価を許容する「クローリングペッグ制」であった。
サブプライム危機が世界金融危機に変容していくなかで、08年夏〜10年夏の期間人民元はふたたびドルにペッグ(固定)された。10年夏から13年末までは、再び緩やかな増価が続いた。以前よりも毎日の変動幅も広げられて、このまま変動相場制に移行するのか、と思われた時期もある。
人民元の最高値は14年1月、外貨準備の最大値を記録したのは14年6月と、ほぼ符合する。したがって14年から続く人民元の下落とその程度を緩やかにしようとする中央銀行によるドル売り介入の原因は(中国居住者の)資本流出が継続していることであり、さらに(外国からの)資本流入の減少もある。どちらも「中国の成長減速」が引き金になっている、というのが通説だ。
中国は00年から13年まで、世界の中でも輝ける成長の星だった。成長率は毎年8〜10%を維持していて、国内総生産(GDP)規模では、10年には日本を抜きさり世界2位となった。世界中の主要企業が、安くて豊富な労働力を求め、あるいは巨大な国内市場を求めて、こぞって中国に積極的に直接投資を行っていた。
しかし、12年ころから、農村から都市部への労働移動に限界が見えてきた。これが、「ルイスの転換点」といわれる労働余剰経済から完全雇用経済への移行である。労働力不足が顕在化、賃金上昇が加速した。人民元も10年から14年にかけて、徐々にではあるが、上昇を続けて、中国の生産基地としての競争力は大きく失われていった。