徳川慶喜が大坂城で外交晩餐会を開いたことをご存じだろうか。1867(慶応3)年3月25、26、27、29日の4回にわたり、慶喜は英蘭仏米4カ国の公使たちに、フランス料理をふるまった。
接待方式をそれまでの日本式から西洋式へとあらためたのは、神戸開港交渉を円滑に進めるため、欧米人の琴線に触れるものにしようと考えたから。横浜の「オテル・ド・コロニー」オーナーのラプラスが饗応一式を請け負い、大坂城の御殿「白書院御次之間(しろしょいんおんつぎのま)」に椅子やテーブルが運び込まれ、20皿を超える本格フレンチコースに、シャンパーニュ、ボルドー、ローヌ、果てはラングドックのデザートワインまで用意されたという。
この慶喜の卓越した外交センスと豪華なフランス料理に、各国公使は舌を巻いた。慶喜の国家代表としての面目は保たれたのである。
ノーベル賞でもサミットでも、晩餐会はほとんど必須項目だ。これは全世界共通して、「食」がその場にいる人々を感動させ、胸襟を開かせ、心を結びつける、究極のおもてなしになるからだろう。
実は僕もアメリカン・エキスプレスの「プラチナ・カード会員様限定 ダイニング・イベント」というかたちで、晩餐会をワンシーズンに1回(年4回)プロデュースしている。日本の食レベルが全世界の頂点にあるいま、さらなる美味しさを追求するために、“一夜限りの幻”となるような美食の宴を開いてみたいと思ったのだ。
たとえば以前開催した「世界遺産と老舗料亭、奇跡のコラボ晩餐会」では、会員50名様限定で閉門後の下鴨神社を貸切散策。次にギタリストの鳥山雄司さんがサプライズ登場し、テレビ番組「世界遺産」のテーマ曲を演奏。重要文化財の「供御所(くごしょ)」で下鴨神社の包丁人として創業した料亭「下鴨茶寮」の料理長に腕を振るってもらった。
また「天空の銀座」の回では、六本木ヒルズクラブのバンケットにコの字型のカウンターテーブルを配し、寿司幸の杉山衛(まもる)さん、鮨青木の青木利勝さん、鮨あらいの新井祐一さんに鮨を振る舞っていただいた(鮨が回転するのではなく、職人が回転する鮨屋とでもいいましょうか)。3つの銀座の名店の味を一晩で味わいつくすというのは、かなりスペシャルな宴だったのではないかなと思う。
工夫ひとつで忘れられない時間になる
食に新しい感動を与えるのは、何も資金力だけではない。誰もやったことのない工夫ひとつで、それは忘れられない時間になる。
昨年末、アンジャッシュの渡部建くんと僕の故郷である熊本県の天草で食べ歩きの旅をした。実は彼を連れて行きたい場所があった。次の世界遺産と目される「崎津集落」だ。ここは隠れキリシタンの漁村で、村にはゴシック様式の崎津教会があり、暮らしている漁師さんもクリスチャンが多い。漁に出るときは、大漁と航海の安全を願って、崖に水染みで浮かび上がったマリア像に手を合わせていたという。
だが、あるとき台風で崖が崩れ、マリア像が消失。そこで信者のひとりが地元漁師や消防団に協力を求め、その場所に「海上マリア像」を建てた。いまではこのマリア像を見るための観光漁船ツアーもある。僕はそのマリア像を渡部くんに見てもらおうと漁船を借り、そこに港の「海月(くらげ)」という鮨屋の大将を呼んで、鮨を握ってもらった。
夕日が沈むころ、海辺に佇むマリア像を見ながら船の上で食べる海の幸の味は、本当に格別だった。