劉金標は、羅祥安とのコンビがあっての今日のジャイアントがあるということを、繰り返し強調した。羅祥安も、劉金標と同じく12月31日にCEOから退いた。トップ2の一気の退任は大きな波紋を呼んだ。年齢的に上の劉金標から先に身を引き、羅祥安が当面引き継ぐバトンタッチを誰もが予想していたからだ。
しかし、2人は二人三脚を最後まで貫く引き際を見せた。
「下の人間たちが私たちの影に怯えないように、そして、彼らの改革が中途半端にならないようにしたいからです」
自転車業界の「キング」「ゴッドファーザー」などと呼ばれることも多いが、劉金標は「自転車の伝道師と呼んでほしい」と語る。企業のトップが自ら率先して自転車という「文化」を広めてきたからだ。それは、短期的な営業成績を度外視できる創業者だからできる長期戦略でもある。
いい自転車に乗ってさえもらえれば、そのよさに目覚めてもらえる。劉金標はそう考える。5年前に拙著『銀輪の巨人 GIANT』の執筆のため、初めてインタビューしたときのことを思い出す。劉金標は「好きになって離れられなくなることを日本語で何と言いますか」と私に尋ねた。なんとはなしに「はまる、でしょうか」と答えた。劉金標は「はまる」「はまる」とつぶやきながら別の話題に移ったが、それから3年ほどして別の取材の機会で会ったとき、日本人を相手に巧みに「自転車にはまる」を使っているのを見て驚いた。
日本の市場は宝の持ち腐れ
最近、劉金標が「伝道師」として「はめる」ことを狙うのが日本だ。
日本での専売店を10年前の2店舗から昨年末には29店舗に急増させた。さらに年内に60店舗、5年後には200店舗にという野心的なプランを掲げる。出店先も人口集積地ではなく、優れたサイクリングロードのある場所に店舗を出す。そこで地元自治体などと組んで自転車文化を根付かせながら、自らの事業も成長させる作戦を続けており、愛媛県と広島県を結ぶしまなみ海道や琵琶湖一周の「ビワイチ」といったコースで実績を上げている。
劉金標には、日本の自転車市場は「宝の持ち腐れ」に見える。
「日本の自転車人口は世界一です。でも、みんな『移動』のために乗っているのがほとんどで、自転車を楽しんでいない。正直、遅れているように見えます。しかし、遅れていることはマイナスなことではなく、成長する潜在力が非常に大きいこと。体によく、環境によく、レジャーとしても楽しい自転車を、日本のような先進的な文明国はもっと活用できるはずです」
劉金標の経営者人生はいま、美しい句読点を打とうしている。だが、それは劉金標にとっての句読点であり、ジャイアントにとっては句読点ではない。
「会社は永続するべきで、百年企業になるのが望ましい。私は百年の前半を担当した。これからは後継者たちの仕事です」と、劉金標はそう話す。永続させようとするから、将来を鋭く見通す先見性が必要になる。それが劉金標の経営者としてのスタンスである。
「多様化した現代社会です。ビジネスには、マネーゲームもあれば、M&Aもある。でも私にはそんな能力もなければ、意欲もありませんでした。会社をいかに永続させるか。それをいつも考えてきました。会社の永続のためには、いくら稼ぐかは最重要事項ではありません。大切なのは、only oneでいることです。me too(模倣主義)では、いつか淘汰される。企業経営や景気にはサイクルがどうしてもつきまとう。苦しいときもある。失敗もある。しかし、only oneであれば、会社は百年、もっと長く生き残っていけます」
劉金標という経営者の存在こそが、only oneだった。その劉金標が抜けた後のジャイアントがさらに50年、only oneの企業でいられるかどうか。それはひとえに後継者たちが新たな価値を生み出しつつ、「春の鴨たれ」、という創業者の精神を継承できるかどうかにかかっている。
【動画】劉金標氏が現役最後のインタビューで語ったメッセージ──
巨大機械工業(Giant Manufacturing)◎1972年に台湾で自転車部品の製造会社として創業。のちに自社ブランドを確立。性能、技術革新による素材、ファッション性などで世界的な地位を築いた。創業者の劉金標は「自転車文化の伝道師」と呼ばれている。
野嶋 剛◎ジャーナリスト。1968年生まれ。朝日新聞シンガポール支局長、台北支局長、AERA編集部などを経てフリーに。中華圏や東南アジアの問題を中心に執筆活動を行う。『ふたつの故宮博物院』『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』『台湾とは何か』著書多数。