ジャーナリスト


劉金標は一般家庭の出身だったが「何かを成し遂げたい」という、今で言うところの「起業精神」を若い頃から抱いた。小さな工場やウナギの養殖などで失敗を繰り返し、30代半ばをすぎてから自転車作りに出会った。

台湾の人口は2300万人。経済規模も人口規模も一つの大企業を養うホームマーケットがない。サバイバルには常に世界の最新の潮流と向き合わなければならない。「小さいから大きく考える」ことで、弱点を長所に転化する企業経営を、この半世紀近く続けてきたのである。

その劉金標の言葉から、彼の経営観に触れることも少なくない。長い経営者人生から学び取った「金言」といえるもので、なかでも、最も頻繁に耳にするのが次の3つだ。

未來決定現在(未来が現在を決定する)」
打仗打在開火前(戦争は攻撃の前に始まっている)」
與時倶進(時代とともに歩む)」

いずれも、将来を見通す企業経営の大切さを強調するものである。そして、劉金標は社員たちにいつも口を酸っぱくして、こう語りかけるのだ。

「春の鴨になりなさい」

鴨は水面の下の水温から、まだ人の目には見えない春の到来を感じ取るとされる。そんな中華世界の寓意が込められている。

ジャイアントには過去、何度も危機が訪れたと劉金標は振り返る。そのことが、時代の流れを敏感に察し、先手を打つ重要さを認識するきっかけだった。

米国の自転車ブームをあてこんで1970年代初頭に創業したが、当時の台湾には、日本のJIS規格にあたる製品の標準規格がなく、取引先の信頼を得られない状況だった。劉金標は、日本のJIS規格を手に入れ、自力で翻訳しながら、業界の仲間たちに「統一規格を作ろう」と説得して回った。

その甲斐あってようやくOEMが軌道に乗ったが、最大手の取引先である米自転車メーカーが突然、注文をジャイアントら中国の企業に切り替えた。受注の75%をそのメーカーに依存していたため、途端に経営危機に陥った。この当時のことを振り返るとき、劉金標は真顔になり、日本語で「うわき(浮気)されたんです」とつぶやいた。

「取引中止の知らせはたった一枚のファクスでした。目の前が真っ暗になった。でも、取引先の浮気で沈んでしまう企業のままなら、たとえ立ち直ったとしても、また同じ目に遭うに違いないと考えました」

他人頼みのOEM依存からの脱却を決意し、自社ブランドの確立を目指した。多額の資金を投じて、アジアの自転車メーカーとしては異例のツール・ド・フランス参加など世界的なレースにも積極的に打って出た。


2016年10月に開催された「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」に参加したチーム・ジャイアント

製品にも特色を出した。炭素樹脂(カーボンファイバー)のフレーム開発に着手し、製造機器はドイツ、素材は日本の東レから調達。世界のどこの大手も手掛けていない分野だった。それが名門チーム「オンセ」に採用され、カーボンのボディならジャイアントという名声とともに、軽量化を好む市場のトレンドをつかんだ。いまも東レとは強固なパートナー関係にある。糸の選定から成型まで自社で完結できる生産体制はほかのメーカーの追随を許さない。

このあたりの技術革新を語るときの劉金標は、技術志向の経営者らしく、生き生きとして目が輝き、「してやったり」という表情を浮かべる。

文=野嶋 剛、写真=熊谷俊之

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