台湾から世界を制した男─「ジャイアント」劉金標会長 最後の教え

引退表明後の2016年12月末、台湾の「巨大機械工業」本社で取材に応じた劉金標会長(82)。瀬戸内の「しまなみ海道」や琵琶湖観光など日本の地域振興にも貢献した。

昨年末、そのニュースは世界に報じられた。「ジャイアント」劉金標会長、引退ー。そして、自転車業界最強のブランドを育てた彼は、最後のメッセージを本誌に語った。無名の工場経営者から「Only One」を築いた男が人生で得た奥義とは何か。


その日は、まるで台風のように、強い風が吹いていた。

台湾中部の都市・台中郊外にある大甲地区。近くに広がる台湾の海岸線の先には、中国と台湾を隔てる台湾海峡がある。冬になると、大陸から海を越えて、歩けないほどの強風がしばしば吹き付ける。

その強風のなか、工場と水田が入れ替わる景色を眺めながら車を走らせていくと、目の前に「GIANT」の大きな文字が現れる。世界最大の自転車メーカーであるジャイアントの本社だ。

そこで待っていたのは町工場を世界企業へ育て上げ、このインタビューのわずか5日後には、82歳で44年間守り続けたトップの座を後進に譲った「キング・リュー」こと劉金標だった。キングは劉金標の英語名である。

まぎれもない自転車業界の「キング」なのだが、飄々とした風貌はむしろ「ベテラン工場長」のほうがしっくりくるかもしれない。また、台湾社会では愛情を込めて「標哥(標おじさん)」の愛称で通っている。

創業の地であり、現在も年間およそ100万台に達するハイエンドの自転車を生産する本社兼工場で、劉金標はForbes JAPANの単独インタビューに応じた。引退を控えて日本メディアから受けた唯一のインタビューであり、台湾メディアを含めても現役最後のインタビューとなった。

「長い会社人生ですが、ポストを引き継ぐのは初めて(笑)。引き継ぎのやり方を学んでいます。年寄りがあまり文句を言わないよう、口を出さずに黙って見守っていますが、我慢が必要です。何事も学習。経営者として最後の学習です」

取材の冒頭、そう語って見せた笑顔には、人生をかけて大企業を生み、育てた経営者の満足感が、深く刻まれていた。

劉金標は、日本統治下の台湾で日本語教育を小学校まで受けた世代。日常会話ならば日本語で難なくこなすことができる。今回は中国語でインタビューを行ったが、質疑の合間にも、いくつも日本語の単語が飛び出してくる。

ジャイアントという企業が台湾のメーカーであることも知らない人が多い日本では意外に思われるかもしれないが、世界的な存在感は圧倒的だ。

スポーツタイプの自転車の生産台数は年間550万台で世界のトップ。40年連続の黒字経営。世界14カ国に販売会社を有し、国内外に9つの工場を持つ。総従業員数は1万2000人。自社ブランド「GIANT(捷安特)」を手掛けつつ、有名ブランドの自転車のOEM(請負生産)を「巨大機械工業」として手掛ける。

600億台湾ドルの売り上げの4分の1は米国、4分の1は欧州、4分の1は中国、そして、残りの4分の1は台湾や日本などアジア。理想的ともいえる事業構成。台湾の株式市場に上場する同社株式の半数は外国人投資家所有とされ、経営の良好さを買われてのものだと受け止められている。

ジャイアントの強みは価格と性能のバランスがいい点である。同じ性能でも欧米メーカーなら20万円の自転車が15万円、10万円の自転車なら6万〜7万円で買うことができる。そして、簡単には壊れない。外観の格好よさは欧米メーカーに及ばないが、シンプルで機能的、使いやすい。

自転車というレジャースポーツが、一部のマニアから一般大衆に広がる昨今、高性能のマシンを手頃な価格で、という戦略は、拡大する利用者層をとらえたものだった。
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文=野嶋 剛、写真=熊谷俊之

この記事は 「Forbes JAPAN No.32 2017年3月号(2017/01/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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