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2017.02.24 17:00

金正男暗殺で動いた、東南アジアに潜伏する工作員たちの日常


現地報道によれば、マレーシア警察は、リ容疑者と北朝鮮の工作機関との関連を調べているとされる。韓国政府も、リ容疑者を含む一連の北朝鮮人の容疑者たちは、北朝鮮の偵察総局など、情報機関の要員と考えているようだ。

偵察総局とは、北朝鮮の主要なインテリジェンス機関として、2016年3月に国連制裁対象に指定された組織であり、その任務は多岐にわたる。北朝鮮の主な武器密輸業者である「青松連合」を指揮下に置き、武器密輸を展開している(青松連合も国連制裁対象組織である)。さらに、世界各地で、秘匿に情報収集活動を展開したり、マネ-ロンダリング目的でフロント企業を設立し、北朝鮮のために影の金融ネットワークの構築を図るなど、様々な非合法活動に従事してきた。

北朝鮮の工作員は、国際機関や現地企業に雇われる形で、海外に拠点を築く。その際、家族ぐるみでチームを組むことがある。非合法活動に従事するに当たり、やはり家族が最も信頼のおけるパートナーなのだろうか。リーダーである最年長の男性工作員が英語を話せないため、妻や娘が通訳として彼を幇助していたケースが見受けられた。

例えば、2014年には、フランス政府が、偵察総局の北朝鮮工作員3名に対して単独制裁を課し、同国内にあった3名の資産を凍結する、という事件が発生した。この3名は、父親、娘、息子から構成される工作員チームで、父親はパリの国連児童基金(ユニセフ)の本部に約20年間勤務し、息子はイタリアの世界食糧機構本部に勤務していた。

彼らは、欧州域内で北朝鮮のための秘匿金融ネットワークを構築するべく、欧州各地でフロント企業を立ち上げ、現地協力者の確保や、欧州に派遣されてくる偵察総局要員へのロジ支援等の任務を任されていた。国連捜査の課程で、我々は3名の足取りを追跡したが、ほとんど捕捉できなかった。

唯一、娘が最後にロシアに渡航したところまでは追跡できたのだが、その先の足取りは不明だった。信頼できる筋によれば、偵察総局の海外工作拠点はロシアとされるが、確証はとれなかった。

偵察総局は、マレーシアを含む東南アジア地域にもフロント企業を運営し、要員を配置してきたと考えられている。その中には、クアラルンプール市内にあった、軍事通信機材・システムの販売会社が含まれる。 この会社は、近隣国にも姉妹企業を有していた。そこに所属していた北朝鮮人3名が、2014年2月にマレーシア空港で、多額の米ドルやユーロ通貨を無申告で持ち出そうとしたため、一時拘留された事件も発生している。

筆者は、クアラルンプール市内のこのフロント企業の連絡先住所を尋ねたことがある。実に不気味なビルであった(メイン写真)。オンボロのビルで、2階に上がると鉄格子に守られたスペースがあり、鉄格子の向こう側にある部屋からは、スピーカーからひっきりなしに現地語のアナウンスが流れていた。何をしているオフィスなのか、全く検討もつかない。

さらに階段を昇り、3階に到着した。ここにフロント企業の連絡先とされる部屋があったのだが、部屋の入り口には看板も何もなく、人気は感じられない。もはや空室なのか、それとも入り口の向こう側に誰かいるのか、判断がつかなかった(以下写真:古川勝久撮影)。



ドアベルを押すべきか否か、しばらく逡巡したが、結局、断念した。万が一、拉致された場合、自分がここにいることを知っている人間は誰もおらず、リスクが高すぎた。帰り際に郵便受けをチェックしたところ、複数の異なる個人宛の郵便物が山積みになっており、これらがこのフロント企業のものだったのかどうか、不明である。全く不気味としかいいようがない建物であった。

このフロント企業については、国連捜査の過程でマレーシア政府に何度も捜査協力を要請したが、ついに政府からの協力は得られず、全容を解明できずじまいであった。

もっと捜査を進められていたら、マレーシア国内に潜む偵察総局の要員を少なくとも何名か摘発できていたのではないか。そうであれば、仮に今回の暗殺事件を止められなかったにせよ、もう少し北朝鮮工作員を牽制することぐらいはできていたのではないか。今から思うと悔やまれるばかりである。私からすれば、今回の事件はマレーシア政府の自業自得だろう。

昨年、このフロント企業の平壌本社が、アフリカ向けに軍事用通信機器を密輸していたところ、輸送途中で摘発されている。偵察総局のフロント企業は、依然、健在だ。

北朝鮮大使館は非合法活動の現地本部

マレーシア警察の発表によると、在マレーシア北朝鮮大使館の二等書記官・ヒョン・クワン・ソン(44歳)も金正男氏暗殺事件への関与が疑われている。

そもそも、北朝鮮は、武器密輸やマネーロンダリング等の非合法活動を、現地の北朝鮮大使館、領事館、貿易代表部を通じて行うことも多い。中でも、大使館勤務の外交官はウィーン条約で不逮捕特権を享受しているため、現地警察に拘束されるリスクがない。大使館が非合法活動の現地本部となっている場合も数多い。
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文=古川勝久

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