ビジネス

2017.02.21

歪んだグローバリズムの影に潜む「隠れ保護主義」の実態

shutterstock.com

知的障がいのある長女は近所のピアノ教室にかれこれ2年近く通っている。

情操教育もして下さる慈愛に満ちた優しい先生で、先日は“じゃんけん”を教えていただいたとのこと。が、彼女の場合、嫉妬心はあっても勝ち負けの概念がない。したがって“じゃんけん”をする目的が理解できない。勝ち負けでしか評価されない市場取引の世界にどっぷり浸かってきた私としてはこの感覚は実に新鮮だ。彼女を育てる中では何度も「神様は粋な計らいをなさる」と思う瞬間が訪れる。

「だから、勝ち負けのない世界へ」など安直な話をするつもりは全くない。彼女のようなタイプはそのままで良いし、彼女達のフィールドはしかと確保されるべきだ。その一方で、フェアな競争や市場原理も否定するつもりはない。

かつての私のように「正当に評価してくれる、フェアで自由に競争できるチャンスと場所だけをくれ。後は自分で何とかする」という人にはそうした機会をキチンと整備して与えるべきだろう。競争のある世界、ない世界、どちらを否定しても人間の営みとして不自然だ。

誰がなんと言おうと、この世は偏見と差別に溢れている。そう言えばかつて「女なんか電話口に出すな」と怒鳴り込んできたのは、女・子どもが喜びそうな国民的アニメのスポンサーであり、今や巨額損失や不正疑惑で話題になっている製造業の担当者だった。

今でこそ鼎(かなえ)の軽重が問われるのはそうした発言をする顧客側なのだろうが、「あの会社からの電話に女性は出ないように」と戒厳令を敷いたのは私の勤務する金融機関の方だった(外資といっても東京支店の上層部は日本人だったので)。平成になってから何年も経った頃の話だ。

肩書き・年齢・性別・国籍・バックグラウンドなどあらゆる差異を越えて、正当かつフェアな評価してくれる唯一の場所が私の場合は相場の世界だった。

とは言え、私のしてきた市場取引などは所詮、虚業に過ぎない。やはり本業はモノ作りに代表されるような価値創造をする実体経済にあるというのは取引をしていた頃からの考えであり、今もその思いに変わりはない。

その意味において、金融を経済活動のメインストリームにすべきではないとの指摘はごもっともだし、例えばドッド・フランク法など金融規制緩和に食指を伸ばすトランプ政権はその点では危うい(ただし、先日の大統領令はドッド・フランク法の即時撤廃ではないので、今のところインパクトはない)。
次ページ > 何を競争させ、どの部分を保護するか-

文=岩本 沙弓

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事