そのスーチー氏が、いま、国際社会から厳しい非難を浴びている。
2月3日、国連は、ミャンマー国軍が「ロヒンギャ」といわれる西部ラカイン州のイスラム教徒を虐殺し、集団でレイプしたことを認定する報告書を発表。ミャンマー政府による適切な対応と国際社会が圧力をかけることを呼びかけた。
国連の発表を受けて、ミャンマー政府は、2月9日、政府の調査委員会が虐殺の疑惑を調査するとの方針を発表した。
また、ASEANの国々では、イスラム教徒が多数を占めるマレーシアとインドネシアで抗議集会が発生。批判の急先鋒はマレーシアのナジブ首相である。ナジブ首相は、ミャンマー国軍の活動は「ジェノサイド」であり、「アウンサン・スーチー氏は何のためにノーベル平和賞を受賞したのか」と発言。昨年12月には、ロヒンギャ問題を話し合うべくヤンゴンでASEAN非公式外相会議が開かれたが、この会議においても、マレーシアは、ASEANが介入して独自の調査と支援を行うべきであると主張した。内政不干渉を謳うASEANでこのような議論が起こることは異例である。
人権と民主主義の象徴的な存在だったスーチー氏が、人権侵害を理由に国際社会から非難されるのはなぜか。その答えを探るべく、スーチー氏がミャンマーの指導者となってからの一年を振り返ってみよう。
新政権の現実路線
ミャンマーでは、昨年3月末にアウンサン・スーチー氏が党首を務める国民民主連盟(NLD)が主導する政権が発足した。国民の圧倒的支持を得てスタートした新政権は、今年3月末に発足一周年を迎える。
新政権は、発足直後から、憲法改正、国軍との関係、少数民族との和平、経済発展、中国との関係など、政治、経済、社会のあらゆる面において様々な課題に直面した。ミャンマーでは、選挙により国民の支持を得た政権が発足したのは半世紀ぶりのことであり、リーダーであるスーチー氏含め、与党NLDには実務経験のある人材がほとんどいない。厳しい船出になることは想定の範囲内だった。
それでも、新政権は、「大統領より上の存在」にあたる国家顧問に就任したスーチー氏のリーダーシップの下、大きな混乱を招くことなく国家を運営してきた。
最大の懸念とみられた国軍との関係については、政権発足当初は、国家顧問の新設に対して軍人議員が反対するなど緊張が生じたものの、NLDと国軍の双方が慎重な対応をとることで衝突は回避された。経済発展についても、政権発足当初は、外国投資の認可が遅れる事態も生じたものの、新政権は前政権の経済開放路線を基本的に継承し、外資の流入は続いた。
実質的に「アウンサン・スーチー政権」ともいえる新政権は、法の支配の実現というスーチー氏の理想を重視しつつも、急激な変革がもたらすリスクを回避すべく、現実的な路線をとってきたといえる。
しかし、今、「スーチー政権」は、ミャンマーにとって建国以来の課題である「国民融和」という試練に直面している。これは、宗教と民族という社会の根本にかかわる問題であり、スーチー氏の理想主義と現実主義のバランスが問われる難問ともいえよう。