ジェイが口を閉ざしたところで香里奈は、「その国の経済発展については私も全く疑いはないわ。でも、だからと言ってその国の中に物理的にベンチャーがある必要はあるかしらね」とささやくように言ってまた口を閉ざした。ラップトップのカメラが唇の動きを読んで補正するのでほとんど声を出す必要はない。
このリモート会議は、個人投資家がベンチャーへの投資を討議するもので、信頼できる投資家だけで構成されたグループが不定期に開催している。香里奈はファイナンスとコンピュータセキュリティが専門なので、今回の案件では中核メンバーとして意見を求められる側にいたが、それ以外にグループ内の何十人かが傍聴していた。
香里奈に後押ししてほしいジェイから今日の内容はあらかじめ聞いており、創業者たちの評判もハッカー・コミュニティに詳しいエンジニアのリカとの動画通話で確かめてあった。
「まぁ普通、ってところかな」とリカは言った。
「あの国のITインフラが整っていく段階でうまい具合にいくつか個人プロジェクトが当たったんだけど、ハッカーとしてはあんまりオリジナリティはないかもね」
そう言ってリカは一瞬右の眉だけをぐっと上にあげた。心から辟易したり軽蔑した時に出る彼女の癖だ。リカの判断はいつも正しい。技術力がものをいうこの領域では、創業者の力量は最も重要なファクターだ。だから、会議が始まる前に香里奈の心は決まっていた。しかし、敢えて否定的な意見を明言しないのはベンチャー投資界の暗黙のルールだ。投資したい時だけはっきり意思表示すればいい。
香里奈が黙ったままなので、ジェイは明らかに残念そうな表情になって話を終え、参加者に感謝の意を述べてログオフした。ジェイの画像が消えるのを待って香里奈もログオフし、ラップトップを閉じた。今回の案件では意に添えなかったが、ジェイは信頼おける大事な仲間だ。フォローはしておきたい。
「アヴィ、近いうちにジェイとの食事を設定して」
香里奈は英語で言った。ヘッドセットには高性能のマイクがついている。アヴィは香里奈のAI秘書だ。日本語のバージョンもあるが、英語のほうが認識率が高く機能も豊富なので英語版で使っている。
「ジェイ・モラレスですか、ジェイ・ウォンですか?」
落ち着いた声がヘッドフォンから聞こえる。
「モラレス」
「朝食、昼食、夕食のどれにしますか?」
「これまでジェイと食事をしたのはいつ、どこ?」
「2027年3月15日にペリニヨン、2029年6月20にケイパーです」
「だったらルカにして。朝食、昼食、夕食、どれでもいい。朝食だったら1時間、昼食か夕食だったら1時間半とっておいて」
「わかりました」
これでアヴィがジェイのAI秘書とやりとりして予定を入れてくれるはずだ。