「美しさ」という基準[田坂広志の深き思索、静かな気づき]

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1987年、映画『アンタッチャブル』で、アカデミー賞・助演男優賞を受賞した俳優、ショーン・コネリーが、かつて、その人生の転機において、次の言葉を語っている。

「決められた道を歩むことは、美しくない」

これは、大ヒットしたアクション映画、「007シリーズ」のヒーロー、ジェームズ・ボンド役を降り、一人の演技派俳優として道を歩むことを決めたときの言葉である。

将来の成功が約束された地位を捨て、未知の自分への挑戦をした彼が語った、この「美しくない」という言葉。

それは、彼の「人生の美学」を語った言葉でもあるが、我々、プロフェッショナルの道を歩む人間に、大切なことを教えてくれる言葉でもある。

「美しい」と感じるか、否か。

それは、プロフェッショナルが道を選ぶとき、密かに心に抱く、たしかな基準なのであろう。

そして、これは決して、映画俳優など、特別な職業分野のプロフェッショナルにとっての基準ではなかった。

筆者が、実社会での歩みを始めた36年前、職場では、若手社員の仕事のやり方を諫める上司は、ときに、次のような言葉を語っていた。

「この仕事のやり方は、あまり美しくないな」

「理屈ではそうなんだが、どうも筋が悪い」

「もっと、プロとしての美学を大切にしろ」

そして、当時の職場では、この「美学」というほどの高い基準ではないが、若手社員に「倫理」という基準を教えてくれる言葉も語られていた。

「法律には触れなくとも、世間様が見ている」

「お客様の信頼を得るのには十年かかるが、それを失うのは一瞬だぞ」

「天網恢恢疎にして漏らさず、だよ」

しかし、数十年の歳月を経て、いま、我が国の企業社会を眺めると、「CSR (企業の社会的責任:Corporate Social Responsibility)」という言葉が、寂しいほどに低い基準で語られている。

例えば、「御社は、CSRに、どう取り組んでいるか」と訊くと、「我が社は、コンプライアンス室を作り、社員には、法令を遵守するよう、厳しく指導している」といった答えを語る経営者が多い。

しかし、改めて言うまでもなく、「CSR」とは「法令遵守」だけを意味する言葉ではない。

いや、そもそも、企業に「社会的責任」があるならば、それは、「社会に対して、悪しきこと(法令違反)をしない」ことではない。

企業の「社会的責任」とは、「社会に対して、良きこと(社会貢献)を為す」ことであろう。

それゆえ、日本型経営においては、昔から、一つの言葉が語られてきた。

「企業は、本業を通じて、社会に貢献をする」

この言葉に象徴されるように、我が国には、欧米からCSRの思想が導入される遥か以前に、「企業の社会的責任」の思想があった。同時に、それは、「企業の社会貢献」という言葉と同義であった。

そして、その日本型CSRの柱となっていたのは、「法令遵守」ではなく、「企業倫理」であり、さらには、「職業美学」と呼ぶべきものであった。

近年、不正会計問題やデータ捏造問題など、大企業の不祥事が頻発する真の理由は、「法令遵守」の精神が薄れたからではない。

「法令遵守」よりも大切な「企業倫理」という基準、さらには、「企業倫理」よりも高い「職業美学」という基準が失われたからであろう。

文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN No.31 2017年2月号(2016/12/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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