就任式を最初から最後までライブで観たのは今回が初めてでした。米国に居たときは、昼の時間なので逆になかなか観るチャンスがなかったんですよね。
歴代大統領も続々と集まり、和やかで華やいだ雰囲気。ヒラリー・クリントンもすっきりとした顔でビル・クリントン元大統領の夫人として列席していました。トランプが宣誓を行い、ちょうど現地時間の正午をまわると、トランプ新大統領が正式に発効しました。
ここまではなかなか良い雰囲気だったのですが、トランプが演説を開始して、ちょっと空気は変わってきました。特に、テレビが映し出すオバマ前大統領の表情の曇り方はかなり顕著でした。言うまでもなく、演説内容がかなりヤバイ感じだったからです。
いわゆるワシントン・コンセンサス(もう今では死語になっているというか、大統領選挙中にトランプがまさに攻撃した対象)からはかけ離れた言葉が並び、米国の知的エリート層には受け入れがたい表現が並びます。特にワシントンの政治家への痛烈な非難、彼らからパワーを国民に取り戻したんだというレトリック・・・。
そして、テレビは、赤い帽子をかぶって現地に集まり、その彼の言葉に熱狂しているトランプ支持者を映し出す。ちょっとマンガちっくな絵作りで(TV局のこうした絵作りもトランプは非難するんでしょうが)、そう考え始めると「トランプ大統領」という画面にあるテロップも、なにか現実離れしたドラマか映画の一場面のようにも見えてきて、リアリティーが乏しいフィクションのような気もしてきます。
しかし、これが2017年1月の確たる現実です。
ハミルトニアンとしてのオバマの苦悩
では、なぜ、オバマ前大統領はあんなに表情を曇らせたのでしょうか。その理由の一つは、トランプが演説で、「America First」を何の躊躇もなく連呼したところにあります。
戦後のアメリカの知的エリートは、その教育のされ方として、アメリカがこれまで守ってきたファンダメンタルな価値体系は常に尊重しなければならない、と教えられています。第二次世界大戦を経て、国際的な意味での「孤立主義」を脱し、「自由と平等」を標榜する社会を全世界に広げなければ、この米国の存立さえ危うい、と。
たとえ“介入主義”的な面があろうと、これらの価値体系を他国においても浸透させることが米国の使命であるというのは、一定の教育を受けている米国人にとっては常識以上のものなのです。
その慣れ親しんだ米国の価値体系に対して、トランプはなんと大統領就任演説ではっきりと「No」を突きつけてしまったわけで、その衝撃度は我々米国外の人間が想像するよりもはるかに強かったと思われます。