欧州議会の法務委員会が「ロボットに関する民法のルール」についてのリポートを提出したことでそれが現実となった。法案も提出されるとみられる。
報告書はロボットとAIに関する法整備の必要性や、ロボットが損害を与えた場合の法的責任に基準を設けるなど、重要な点に触れている。ロボットが損害を与えた場合、ロボットに委ねられた権限に応じて、ロボット自体やメーカー、ソフト開発者などすべての関係者に責任を持たせるべきだとリポートは指摘している。
自動の程度が大きいロボットが負う責任は大きくなり、サードパーティーの責任は小さくなる。どんなケースにおいても被害者には必ず損害を賠償するべきであり、それは強制保険や補償基金を通じて行うべきだという。
一見思慮深い内容になっているが、ロボットに法律上の「人としての責任」を持たせることについてはいくつか課題がある。アルトワ大学の研究員Nathalie Nevejansは「マシンは自らの意識や感情、思考力に欠けた物であり、それが法的なアクターになることができるはずがない。人間が操らない限り、ロボットに法的地位を与えることは、科学的、法的、そして倫理的な見解からしても現在は無理がある」と、「市民の権利と憲法上の問題(Citizens’ Rights and Constitutional Affairs)」に関する部門が作成を依頼したリポートの注釈に書いている。
ロボットが有休を欲しがったらどうする?
さらに、ロボットが裏で糸を引く人間の身代わりになる単なる道具であるならば、ロボットに法的地位を与えることは意味がないとNevejansは指摘する。一方、ロボットに一種の「意識」が与えられた場合、望ましくない結果を生む可能性がある。その場合はロボットにも特別な権利と義務を与えるべきなのだろうか。
Nevejansは「義務という人間のモラルに密接にかかわっている考え方をロボットに適用することができるだろうか?」とも指摘する。ロボットに“権利”を与えることによって、ロボットが有休や報酬を要求するようになるならば、人間を従業員として雇えばいいのではないだろうか?
しかし、ロボットに法的地位を与えることに関する最大の懸念事項は他にある。意識のない存在を人間に近い地位に置くことにより、ヒトとモノの境界線があいまいになるのだ。人間とAIの共存のための規定のはずが、ロボットの地位を向上するというよりも人間の地位を下げることになりえる。
欧州議会の議員Mady Delvauxは「ロボットは共感を示すことはできるが、感じることはできない」と指摘する。心から共感できるという人間の能力を、我々は大切にしなくてはならない。しばらくすれば力や知能、適用力、寿命に関してはロボットに負けることになるのだから。