私は今、根室にいる。なにも北方領土に近い街へ来たからといって、特別なことがわかるわけがない。とはいえ、ネットで多くのことを調べることができ、かつAI(人工知能)が進歩してきた今、人間様にできるといえば、ただひたすら現場に行き、見て感じることではないか。この地域で北方領土を納沙布岬から眺め、そよぐ風や草の匂いを嗅ぐ─。
「嗅いだところでなにかわかるのか?」と言われても、なにもわからないかもしれない。でも、地元の人と話をする。国後島出身のおじいさんと歯舞群島出身のおばあさんをもつ女性と話をする。北方領土の話をするわけでもないが、ふつうの日常会話の中からたくさんの示唆に富んだ話が聞ける。行く先々のものを飲み食いしつつ、地元の人に話を聞くことで、身体的なレベルで情報を消化できるのだ。
根室の人なら誰でも知っている「エスカロップ」「オリエンタルライス」という地元メシについても聞いた。初耳だった。そして、食べてみた。
確かに、それでよい株式銘柄が選べるわけではない。それでも、誰かがまとめた2次情報でない、生の話を聞き続けていくことが大事なのだ(余談だが、このエスカロップがとてもおいしかった。悔しかったら、根室でエスカロップを食べてみなさい!)。
ネットが普及して多くの事柄を瞬時に居間や外出先で知ることができる今だからこそ、フィールドワークが大事になっている。街を歩き、様子を見て、乗り物に乗ったり、食べ物を食べたり、地元の人の話を聞いたり─。そういったリアルな体験が非常に貴重な財産になる。
最後に、ゲーテの『ファウスト』から私の好きな一節を。
見るために生まれ
見張ることが仕事となり
世のすばらしさを知った。
だからあらゆるものに
永遠の美しさがあるのを知っている。
ぼくはすべてを好きになり
自分さえも愛せるようになった。
ものを見るよろこびを知った眼よ
おまえがこれまで見たものは
どんなものであろうと
すべては美しかったのだ!
(『ファウスト』新潮文庫より)
このような気持ちで、世の中を観察してみたいものだ。