「もっとも強固な人脈を生むスポーツはラグビーだ」と経済界ではよく言われる。球技最多の15人で戦ううえ、ひとりのエースの存在だけでは勝てない。身長も体重もバラバラな選手が、おのおのの特徴を生かしたポジションにつき、それぞれの役割と責任を果たす。まさにチーム総力戦のスポーツだ。結果、他のスポーツよりも選手同士の結びつきが強くなるのは想像に難くない。
181cmの長身、スーツを着ていてもわかる鍛え抜かれた体躯で颯爽と現れたローソン代表取締役会長CEOの玉塚元一も、慶應の中学から大学までラグビーに激しく打ち込んだひとりだ。
ポジションは中学時代から“攻守の要”と言われるフランカー。相手に真っ先に圧力をかけたり、攻撃のときにいち早く味方のフォローに駆けつけたりする、花形ポジションである。高校時代は神奈川県大会にレギュラーとして出場し、大学時代も毎日5時間の猛練習に明け暮れ、レギュラーの座を勝ち取った。極め付きが3週間にわたる夏の山中湖合宿だ。早朝、午前、午後と毎日計8時間ほどしごかれる。気を失うことがあるくらいきつく、肋骨や鎖骨、鼻の骨を折り、頭は延べ40針以上縫った。
「“地獄の山中湖”と言われていました。120人の部員のうち、合宿の最終日まで立っていられた選手だけが、9月の公式戦に出られるんです。もう、みんな必死ですよ。いまだったらいくらお金を積まれても絶対に行かないけれど(笑)、そういう経験をしたことで、たいがいのことでは“死にはしない”と思えるタフな人間になりました」
人は成功より失敗、勝利より敗北に多くを学ぶ。いまの玉塚を支える「原点」は、1985年1月6日、6万人近い観客で埋め尽くされた国立競技場だろう。
当時「無骨で不器用」と揶揄された慶應は、巨漢選手を集めた「重戦車軍団」の明治、華麗な「ランニングラグビー」の早稲田という関東大学対抗戦優勝候補2校を撃破。全国大学ラグビー選手権の決勝戦を迎えていた。相手は当時2連覇中で「史上最強」とされた同志社大。4点差となった試合終了間際に慶應が同点トライを決めたかに見えたが、パスが反則と判定されて、惜敗した。
「慶應は当時AO入試がなく、早稲田や明治のようにラグビーの強豪高校から優秀な人材を引き抜くことができなかった。しかし、素質としてはたいしたことがなくても、目標を決めて徹底的に鍛えれば、つまりひたすら努力すれば、巨象を倒せるということがわかった。それと、慶應大学ラグビー部には『花となるより根となろう』という言葉があるんです。誰もが五郎丸(歩)くんのようなスターでなくていい。適切なポジションで活躍すればいい。経営者になったいまも、そのふたつが僕の根底にあります」