ミレニアル世代の未来を変える、「卵子凍結」ベンチャーの夢

マルティン・バルサブスキーと妻のニナ(写真=ティモシー・アーチバルド)


バルサブスキーがプレリュードについて考え始めたのは、6年ほど前のこと。かねてから生命科学に関心を抱いていた彼は、妻のニナと家庭を築こうとしたとき、人生の壁にぶつかった。彼らが結婚して間もなく、当時31歳だった彼女が不妊症だと判明したのだ。彼らは体外受精で第1子を作ることができた。同時に将来に備えて卵子と精子を凍結した。

いまではふたりの健康な子供(5歳と3歳)に恵まれ、3人目もニナのお腹にいる。すべて体外受精による子供だが、その体験は苦渋に満ちていた(夫妻は一連の遺伝子テストも受けている。その多くはプレリュード・メソッドに組み込まれる)。

一方で、バルサブスキーは体外受精でも妊娠できないカップルがいることを知った。データもそれを裏付けている。米国の疾病管理予防センター(CDC)によれば、15〜44歳の米国女性の12%は自然な妊娠が難しいという。

ブエノスアイレスで少年時代を過ごしたころから、バルサブスキーは大きな市場でのユニークなチャンスを探し続けてきた。彼の家族は70年代に米国に亡命。親類のダビド・バルサブスキーが軍事政権の手で殺害されたあとのことだ(当時は「失踪」という遠回しな表現が使われた)。

コロンビア大学の大学院に在学中、彼は不動産会社を起業。その2年後には、アルゼンチンの同胞でノーベル生理学・医学賞受賞者のセーサル・ミルスタインとともに、エイズの治療法を開発するバイオテック企業、メディコープ・サイエンシーズ(現在の拠点はモントリオール)を創業した。

90年代に入ると遠距離通信に関心を移した。まずは91年にニューヨークでバイアテルを創業し、低コストの長距離通話サービスを提供。3年を経ずして上場を果たした。95年にはマドリードに移住し、長距離電話キャリア兼インターネットプロバイダーのジャステルを創業。99年に同社株を公開した。

続いて立ち上げたポータルサイトのYa.comは、2年後にドイツテレコムに売却。次のアインシュタイネットは早々に破綻し、個人的に5,000万ドルの損害を負ったが、大きな問題ではなかった。一連の成功によって、バルサブスキーは3億ドル(本誌推定)の資産を築いていたからだ。

ドットコム・バブルの崩壊後はしばらく大人しくしていたが、しばらくしてフォンを創業する。この会社は「フォネロス」と呼ばれる国際的なネットワークを構築し、ユーザーに互いのWi-Fi接続を共有させ、地球上のどこにいてもネット接続ができる環境をつくることを目指した。グーグル、スカイプ、セコイア・キャピタル、インデックス・ベンチャーズから出資を受けたこのスタートアップは、2,000万人以上のユーザーを集めるまでになった(「どこにいてもWi-Fi」という夢はまだ実現していないが)。

昨年、このフォンを黒字化させた後、バルサブスキーは出産ビジネスにフルタイムで取り組むためにCEO職を辞した。

プレリュードは、法的には15年に誕生した。バルサブスキーはその後間もなく、一般的なIT系スタートアップのビジネスモデルが通用しないことに気づく。法規制その他のハードルがあるため、既存の体外受精クリニックと卵子バンクを買収するのがベストだったのだ。

そうなるとベンチャー投資会社ではなく、プライベート・エクイティからの出資を引き出す必要がある。彼は最終的に、かねてから体外受精ビジネスの潜在力に目を付けていたリー・エクイティ・パートナーズと手を組むことにした。
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翻訳=町田敦夫 編集=杉岡 藍

この記事は 「Forbes JAPAN No.30 2017年1月号(2016/11/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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