暗闇に紛れて三人の青年が、辺りを憚りながらひび割れた老朽ビルの地下室に参集した。湿っぽく異臭の立ち込める狭い部屋で燈火を付ける。ある青年はポケットからリード線、別の青年は帽子に忍び込ませた部品を取り出す。幼顔を残す一人が上着に隠し持ってきたのは古いスピーカーと真空管だ。
小一時間、無言で作業を続けた彼らが組み立てたのは、二球スーパーのラジオだった。リード線を動かしながら、チューナーを回す。スピーカーから微かに天女の声が聞こえてきた。
「鄧麗君、梦中情人!」。テレサ・テンが歌う『何日君再来』だ。文化大革命期の彼らには聴くことが許されない。連日、工場での重労働を強いられる青年たちは、深夜の地下室で危険を覚悟で台湾からの電波を傍受して、かなわぬ夢をふくらませていたのだ。
あれからほぼ半世紀。現在の上海の街並みには文革の痕跡すらない。外灘のモダンとクラシックが同居した光景はなかなかのものだ。他の大都市の中心街も世界標準に近い姿と言える。文化面でも映画の市場規模はいまやアメリカを抜いて世界一、国際ファッションショーや自動車ショーが頻繁に開催され、テーマパークには大勢の家族連れが押し寄せる。
だがそれでも、現代中国の文化やアートはどこか洗練されていない。世界中の流行をとにかくペタペタと貼り付けているような印象が拭えないのである。ガラス張りの高層ビルに極彩色の瓦屋根がせり出しているなど、長い伝統文化との上質な融合はあまり見受けられない。
文革の爪痕が深いのだろう。50年を経た今なお、亡霊のようにこの巨大な国の地下で悪さを働いているのではないか。
文革期には本来の文化が徹底的に否定された。古寺名刹が蹂躙され、景徳鎮の窯が割られ、書画骨董は焼き捨てられた。若い男女が手をつないで歩くなどもってのほかだった。莫言や余華らの小説に描写されているように、文革の実相は文化大破壊であった。
昨今、世界中でブームの日本文化は、古典芸術とモダンアート、伝来の習慣とサブカルチャーが、日本特有の溶け合いを演じることで表現されている。それは、昔から中国文化の強い影響を受けて発展してきた。