レシピやメソッドの記録からオープンな組織まで、フェラン・アドリア率いる名店「エル・ブリ」には独特の組織文化があった。同店の密着取材を許された米コロンビア・ビジネス・スクールの社会学者に、アドリアの創作哲学と、エル・ブリの組織としての強みについて訊いた。
ーアドリアは料理やプロセスを徹底的に「記録」していますが、エル・ブリが記録されることを彼が望んだ理由とは?
M・ピラール・オパゾ(以下、オパゾ):アドリアは常々、彼が「アジテーター(扇動者)」と呼ぶ人たちと仕事をしたがります。自分では考えもつかないようなアイデアを得るために、異業種の人を招き入れるのです。過去には、芸術家や化学者とも働いています。エル・ブリという組織が社会学者の目にどう映るか、興味があったのでしょう。
エル・ブリには、外部との交流を通じてインスピレーションを得てきた歴史があります。アドリアは結果的にどうなろうと特に気にせずに、好奇心から外部の人たちを招き入れるのです。
ーそうしたオープンさは、従業員にどのような影響を与えたのでしょうか?
オパゾ:エル・ブリの組織文化を象徴する要素です。取材した料理人の多くは、「ふつうのレストランではノートを厨房に持ち込めないから、手のひらにメモ書きをした。それなのに、エル・ブリではノートどころか写真まで取らせてもらえた」と驚いていました。レシピだけではなく、作業工程も含めてすべてを開示しています。
これはとても賢明です。そうしたオープンさと記録主義を組み合わせることで、彼らの仕事が広く世に伝わります。他の料理人が宣伝してくれるわけですから。
ーアイデアが外部に漏れることを恐れてはいなかった、と。
オパゾ:私は彼が“新種の多国籍企業”を作り上げたと思っています。成功したレストランはしばしば支店を作リます。
ところが、アドリアはそうせず、あらゆるレシピを出版することでエル・ブリの法人権を守ったのです。レシピのアイデア自体に著作権はありませんが、表現にはあります。出版することでエル・ブリ固有の料理であることを示しつつ、多くのシェフを店に招き入れ、それを広めたのです。
それこそ、レシピだけでなく、組織のあり方やルールまでも公開しました。エル・ブリは系列店を増やすのではなく、知識や習慣を広めることでブランドを確立したのです。