02年以降のエル・ブリでは、料理年鑑をまとめることも仕事の一つになった。1年のうち半年間しか営業しないエル・ブリでは、オフ・シーズンを利用して前年の情報を分析して料理年鑑に載せる。
この料理年鑑は3段階で構成される。
短期的な記録を収めた「創造のファイル」に始まり、中期的な記録を収めた「創造のフォルダ」、最後に長期的な保存先となる「料理年鑑」の3つである。
これが、新メニューの開発を助けてきた。例えば、「やり残したことリスト」は毎年、エル・ブリがワークショップの実験で最初に活用するネタ本となった。ワークショップでは、ゼロから考えることはなかったという。研究ずみだが実現していないアイデアをもう一度取り上げ、その本質を見極め、新たな視点で活用する道を探ることから始めるのだ。
仮に、誰かが数日か数週間で何かを創造しようと思ったら、直観に頼るか、成り行きにまかせるしかない。だが、斬新なやり方で何かを創造し続けたいのならば、エル・ブリのように確立された慣行や方法論に従う必要がある。事実、アドリアたちが築いた方法論は、新たな知識の宝庫としてエル・ブリの創造プロセスを促進してきた。
あるスタッフによれば、02年以降、この方法のおかげで新たなアイデアを開発する際の直観力も養われたという。エル・ブリが閉店するまでの最後の10年間を見れば、新たなアイデアを開発し、実現するという面で、エル・ブリの創造的な方法論や記録、分析がいかにシステマチックに機能していたかがわかる(画像参照)。
エル・ブリがすべての料理を系統的に記録・分析していたころ、こんなことをしているレストランは他になかった。
「優秀なシェフはたいてい白衣のポケットにノートを入れて、常に料理メモをつけている。だが、料理の秘訣は秘密にされ、外部に公開されることはない」と、あるシェフは言う。
また、別のシェフは、「いつもホワイトボードにアイデアを書いているが、厨房の外に漏れることはない。それに、たいていは翌日に誰かが消してしまう」と語った。
00年代初めからエル・ブリに食材を提供してきた業者は、「エル・ブリと他の有名レストランの大きな違いは、創造性へのアプローチにある」と指摘する。他の有名なシェフたちとは異なり、エル・ブリのシェフたちには新しい料理を開発するための独自のルールがあるように見えたという。
「彼らの新メニュー開発は、ホワイトボードに貼った大きな白い紙から始まるんだ。そこにはさまざまなテクニック、調理法、食材、何もかも書き出してあってね。それをゲームのように、あっちこっちに動かす。まるで、バックギャモンかチェスでもやっているようだったよ」
エル・ブリも開店した当初は、直観に頼って新メニューを作ろうとして混乱を招いた。だが、この食材業者は、「ワークショップの実験的なプロセスの結果、メンバー全員が明快な手順を共有し、まったく新しい発想を得られるようになった」と考えている。