ネガティブをポジティブへ―。イノベーションの本質に迫るハードウェアをつくっているのが杉江理率いるWHILLだ。人々が乗りたがる「クールな電動車いすをつくろう」という背景にある志に迫る。
(中略)「100m先のコンビニに行くのも諦めます」
やらねば―、そう直感したという。日産自動車出身の杉江理、ソニーの内藤淳平、オリンパスの福岡宗明ら3名が中心となり、WHILLのプロトタイプ開発が始まる。大手メーカーとは大きく異なる開発環境だが、「とにかく楽しかった。苦労を感じたことはないですね」と杉江は気に留めない。屈託のない笑顔で当時を振り返る。
「コンセントが全然足りなかったんで、外の看板に刺さっているコンセントを抜いて、その電気を使いました。テスト走行は近所の道端です。苦情?全部無視ですね(笑)」
ゴールは1年後、東京モーターショー2011の出展に設定した。新たなパーソナルモビリティーとして、先進的なイメージを打ち出したかったという。
出展の反響は予想以上、世界各地から問い合わせが相次いだ。ただその一方で、「本気で市場へ出すつもりがないなら、今すぐやめろ!期待だけさせて、試作機どまりにするのは罪だ」という厳しい声もあった。「確かにそうだな……、じゃあやるか!」。こうして杉江たちは、本気でビジネスや量産を考え始める。(中略)
「何もわからない。だけど、とりあえず行ってみよう」
人気アクセラレータの500スタートアップスやオープンネットワークラボが背中を押したこともあり、最終的に杉江が米シリコンバレー移転を決断した。しかし予想以上に、アメリカと日本ではビジネスの掟が異なっていたという。
「メールを書くときには、1 秒でも速い返信が求められます。敬称や肩書とかは添えません。あるとき、投資家から突然メッセージを受け取りました。トイレへ行った後に返事を書いたら、もう相手はオフラインになっていて返信をもらえなかった。とにかくスピードが速い」
投資家へのプレゼンテーションをこなしながら、ユーザー調査も粘り強く行った。サンフランシスコ市内で車いすの人を見つけると、片っ端から声をかけた。ショッピングセンターやラーメン店でもお構いなしだ。「こいつらは危ない」と、警備員に外へつまみ出されたこともある。そんな地道な活動が続く中、試乗者の喜びの声が励みとなった。
「メイ・アイ・ヘルプユーではなく、イッツ・クールと言われた! 車いすに乗っていて初めてのことだよ」
アメリカでも、試作機の改善をひたすら続けた。「車いすの人の気持ちがわからない」と感じれば、杉江自身が車いすに乗り続けて生活を送る。その期間2カ月。ユーザーの意見を取り入れ、デザインはアーチ型からアーム型へ切り替えた。東京モーターショーで話題を集めた先進的なデザインよりも、ユーザーの「乗りやすさ」を優先したのである。
「アメリカ市場に挑戦して、ソニーの盛田昭夫さんやホンダの本田宗一郎さんのすごみを改めて感じました。数十年前にアメリカへ渡り、世界中にディーラーネットワークを築いた。尋常ではありません。現代よりも、当時の日本人のほうがグローバルですね。私たちはいま、アメリカで足踏みしていますが、数年後には世界中で戦えるようになる。爆発ポイントはいまではない、そこを見据えて動いていけたらと思います」(以下略、)