魅了された競馬場の情景、その壮大さと美しさに心奪われた
私は古代ローマ史を専門とする歴史家だが、2016 年8月に『競馬の世界史』(中公新書)を出版した。馬と人との営みに関する著作では、大学で人類史における馬を取り上げた講義録を基にした『馬の世界史』(中公文庫)以来、2冊目となる。
『馬の世界史』は好評で版を重ねた。それ以来、いつか『競馬の世界史』を書きたいと思っていた。
やっと、競馬というレースの発祥からサラブレッドの誕生、現在の競馬のルールが形成される過程での近代市民社会の発展との関わりなどをあつかう歴史書をまとめることができた。いささか大げさだが、一歴史家、一競馬ファンとして趣味のライフワークをやり遂げた安堵感さえ感じた。
私が競馬に魅せられるきっかけとなったのは、今から40年ほど前、父に頼まれて馬券を買いに東京競馬場に行ったことである。
建設会社の土木技師だった父は、競馬への投資が高じて家に入れるお金が少ないこともあったりして、私は正直、競馬には好印象を持っていなかった。たまたま「ゴルフに行くから」と馬券買いを頼まれたのだが、競馬場を訪ねると私は心の震えに襲われた。それはまさに、私の人生を変えた激震と言っていい。
大きなスタンドに広々と延びる芝生。そこを疾走していく馬と騎手。その情景の美しさにいっぺんで心を奪われてしまったのである。競馬は馬券を買うのも楽しみだが、やはり競馬場と競馬そのものを見ることが楽しい。馬券を買うのは、競馬場を訪れる楽しさに刺激を加えてくれているにすぎない。
競馬とは、紳士にとってのピクニックである
だから私は、馬券の購入でも高額を賭けることはない。40年以上の競馬人生で、1レースに賭けた最高額は2万円ほど。通常はGⅠクラスの大レースでも1万円ほど。決して負け惜しみで言うのではないが、これまで何度も英ダービーや仏の凱旋門賞などを現地で見てきたが、山高帽を被る紳士たちも、賭け金は1レース2ポンドぐらいのものである。彼らにとっても競馬とは、競馬場を訪れる一種のピクニックなのだ。
ちなみに何度も海外の重賞レースを見てきたのは、私の古代ローマ史研究とも関係がある。ロンドン大学の古代史研究図書館には古代ギリシア・ローマ史に関する膨大な史料・文献が集められている。夏休みになると2カ月弱ほど滞在し、この図書館に朝から晩まで籠もっての研究を40年間続けてきた。週末、研究の疲れを忘れさせてくれるのが、ロンドン郊外の競馬場巡りである。
歴史がある競馬の文化、その一翼を馬主が担う時代へ
サラブレッドの創造や馬主、調教師、騎手の役割分担、そして賭けとしての面白さと公正さを実現する斤量(負担重量)の導入などは、近代のイギリスの市民社会の成立と軌を同じくしている。レースの公正さを担保するためのルールづくりは、18世紀以降の資本主義における投資の公正さを確保する動きとメンタリティーでは同じだった。
英国では、そもそも狩りという貴族趣味で馬を使っていた。馬への親しみや、より優れた競走馬を生産する情熱では、きわだっている。ロンドンのハイドパークでは馬に乗って遊んでいる人がいるし、競馬場ではアマチュアのレースも開催される。馬が生活のなかに溶け込んでいる文化が英国にはある。