それほど抵抗はないと回答した女性たちも、(女性だけの)小人数のグループなどの中でならば、あるいは会社の方針や福利厚生に関する議論の中でならば、気兼ねせずに男女平等について話すことができると答えた。なぜこれほど多くの女性たちが、職場での平等という基本的な基準を求めることに不安を感じるのだろうか?そこには少なくとも三つの理由があると考えられる。
第一に、女性たちは男女平等というテーマに結び付けられることで、自身の評判が落ちることを恐れているとも考えられる。男女平等を主張することは、不平を言っているのだという誤解を受けやすい。不満を言うことは、職場での評判を損なう原因になり得る。チームワークに目標を達成することを重んじる企業文化において、文句を言う人だと見なされた女性は、「チームプレーができない人」というレッテルを貼られかねない。
もうひとつの理由は、「犠牲者ぶっている」と見られることへの懸念だ。昇進を目指す女性なら、弱さと結び付けられる可能性がある行動はどのようなものであれ、避けようとするだろう。伝統的な定義に基づけば、犠牲者は弱く、リーダーは強いものだからだ。女性が直面する不平等な競争環境や厳しい戦いについて話し合うことは、「リーダーらしくない」と受け取られる可能性がある。
第三に、同一賃金同一労働に関する問題やセクハラ、その他のさまざまな問題についての調査で示されている結果にも関わらず、いまだに女性が職場で不平等な環境に置かれていることを認めない人たちがいることだ。女性たちは、経営陣や人事部に訴えても、改善につながる生産的な考え方や対策方法を生み出すのではなく、ただはねつけられたり、事実確認だけに終わったりするのではないかと懸念しているのかもしれない。
さらに、女性たちが職場内のより安全で小規模なグループの中で格差是正を訴えても、その効果のほどは疑問だ。例えば、気心の知れた女性の同僚たちと、または社内の女性ネットワークの中で男女平等について話し合えることは、素晴らしい機会があるということに思えるかもしれない。だが、こうしたことも、(大半の企業で男性が多数を占める)経営陣にとっては、不適切なものに見える可能性がある。
女性たちが職場の男女平等について遠慮なく語れる環境を整備しない限り、この先もずっと、真に公平な競争の場を実現することは難しいだろう。
女性の仕事に対する満足感を本当に高めるのは、(女性だからこう希望しているだろうとの思い込みを抜きにして)昇進の機会を平等に与えることかもしれない。フェアリーゴッドボスの調査では、公平な扱いを受けていると感じることが、仕事に対する満足感を高める大きな原動力の一つであることが明らかになっている。
米国では、女性が家計を支える世帯が全体の4割に達している。そうした中で不当に型にはめることは、女性たちにとってもその家族にとっても、さらには米国の経済全体にとっても、経済的、感情的な損失となっている。