――フアンさんの経歴について教えて下さい。
私はとても貧しい家庭に育ちました。幼少期はオハイオ州のコロンバスとメリーランド州のボルチモアで過ごしましたが、父親は職がなく、フリーマーケットで雑貨を売り、母親は中華料理屋でレジ打ちをして生計を立てていました。両親ともに台湾出身ですが、私と妹の将来のために母国での職を捨てて米国に移住したのです。
――それは大変でしたね。
我々は引っ越しを繰り返し、ニュージャージー州に落ち着きました。ボルチモア時代に母親はジョンズ・ホプキンス大学の近くにある中華料理屋で働いていたのですが、「子供たちを何としてでもジョンズ・ホプキンス大学に進学させたい」とよく話していました。私は幸運にもジョンズ・ホプキンス大学に入学することができ、2003年に卒業しました。その後、政府のプログラムで日本へ行き、地方で英語を教えましたが、人生を無駄に過ごしていると感じて米国に戻ってロースクールに入学し、卒業後に企業弁護士の職を得ました。
――企業弁護士から起業家に転身したのは何故ですか。
ある時知人から連絡があり、「iPhoneという新しいデバイス向けにゲームを作るから、一緒にやらないか」と誘いを受けたのです。私は企業弁護士に向いていないと感じていたので、仕事を辞めて参加することを決めました。
――Astro Apeはジンガにいくらで売却したのですか。
数千万ドルでした。非常に良い結果となりました。私が手にしたのはお金の心配をせずに、自分のやりたいことを追い求めることができるだけの額でした。私はゲーム以外のことをしたいと考えていました。
――資金はどのように調達したのですか。
2013年8月に110万ドルを調達しました。投資家の反応は、「クレージーな考えだ。少額なら出資できるから、実現可能か試してみろ」といったものでした。でも、我々には実績があるので、何とか実現可能性を証明することができ、これまでに約1億5,000万ドルもの資金を調達することに成功しました。
――事業が軌道に乗ったと感じたのは。
2014年の中頃です。その頃には注文数がかなり増え、我々は遅配を起こさないように必死でした。我々の原点は出荷作業にあり、全社員が倉庫業務からスタートします。今でも出荷作業に遅れが出そうになると、オフィス勤務の社員も倉庫に行って手伝っています。
――フアンさんも例外ではないのですか。
もちろんです。アラームが鳴るとレンタカーに乗って倉庫に駆けつけます。Boxedでは、相談役やCOOであっても、入社したら最初に倉庫での作業を経験します。こうすることで、ニューヨークやシリコンバレーのオフィスにいても、全員が一つのチームであるという意識が芽生えます。私自身も今でも週に一度は倉庫に作業をしに行きます。今でも素早く箱詰めをすることができますよ。
――Boxedの成長性について教えて下さい。
我々は多額の資金を調達し、投資家からの期待値がますます高くなっています。消費財の小売りは経済規模が非常に大きいにも関わらず、EC化率は1.5%に過ぎません。会員制ディスカウントショップの大手3社の売上を合計すると2,000億ドルになりますが、ECの売上は2%で、モバイル比率に至っては0%です。B2Cビジネスでモバイル比率が0%とは前代未聞です。