SNS上のプライバシー公開、適切なのはどこまで? 過剰な情報提供は害にも

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心理療法士である筆者には頻繁に、「離婚を同僚に伝えるべき?」「うつ病と診断されたら上司に話すべき?」といった質問が寄せられる。数十年前には、こうした個人的なことは通常、誰にも言わないものだった。

だが、その当時と現在の世界は違う。幸いなことに私たちは、自分たちの人生を区切って考えることはできないことに気が付いた。つまり、家庭の問題は仕事に影響するし、子どものころの経験は、大人になったあなたにも影響を及ぼしていることを、私たちは互いに認めるようになったということだ。

だが、一方ではリアリティー番組やソーシャルメディアの登場のおかげで、公私の区別が曖昧になってきている。個人の問題を他者と共有することが、以前よりずっと広く社会に浸透しているのだ。

さらに、自己啓発に関する多くの書籍やインターネット上への投稿、各分野で活躍する人たちの講演を定期的に行う非営利団体のTEDなどでは数年前から、「私たちは真の自分であるべきだ」といった論調が多くみられるようになっている。

私たちが正直であることや信頼に足る人であることをより重視するようになったことには、元気づけられる。だが、自分自身のことを人に伝えるべきかどうかという点については、いくらか混乱が生じているようだ。フェイスブックで自分が抱えている問題を公表すれば、私たちは「本当の自分」でいることになるのだろうか?

「本当の自分」でいることの意味

本当の自分であるということは、自分のままでいる勇気を持ち、自らの価値観に従って生きる正直さを持つということだ。そうした「真正の」人であるためには、あなたの言動は、自らの信念に従ったものでなくてはならない。

真正であるということに関するいくつかの側面は、世の中が変化してくる途中のどこかで、ねじ曲げられてしまったようだ。一部の人たちは、「正直である」そして「個人的な話がある」ということを、私たちの最も奥深くに暗い部分にある秘密を世界中に向けてさらけ出すことだと考えるようになってしまった。
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編集=木内涼子

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