ある日、横田は同行する新聞記者に「絶対に声を出すな」と命じて、山の中に入った。すると、夏だったせいか、毛に覆われたクマは風通しの良い木の上で涼んでいた。しかし、人間の姿を見て、木の上で息を潜めたのに、クマを見た記者が驚いて、「横田さん!」と叫んでしまった。
「ばか!」。横田が咄嗟に記者を黙らせようとしたのも束の間、「クマは見つかったと思ったんだろうね。ドサッという音とともに俺の真後ろに落ちてきたんだよ」。おびえた記者が猛ダッシュで走り去ると、横田の背後に落ちたクマも、脱兎のごとく逃げ去ったという。
クマの生息地に人間が入るようになり、また人が住んでいた集落が高齢化や過疎化で人がいなくなっている。そこにクマが現れるようになり、時折、人間と遭遇するようになったと考えるのが自然だろう。
クマ社会と人間社会の暗黙の掟。それが、人間の都合で崩れたのだ。
牛舎で牛と寝ていたクマを追うと・・・
熊仙人の横田が撮影した写真に、牛小屋の乳牛の隣に現れたツキノワグマの写真がある。
里山にあるこの牛小屋の主人はビックリして大騒ぎしたのだが、なぜ牛小屋に現れたかというと、牛の飼料であるデントコーンを食べに来るのだ。
横田が見に行くと、足跡からクマは1頭だけではなく、3頭いることがわかった。しかも頻繁に来ているせいか、牛はクマが来ても暴れなくなり、牛の隣でクマが堂々と寝ていることもあったという。
また、クマは3頭一緒に現れているのではなかった。まずオスがやって来て、牛のエサのコーンを食べる。その間、母親と子どものクマは林の中に潜み、オスがいなくなるのを待っている。前述したように、オスが子供を食べてしまうからだ。
順番待ちをしているせいか、母子クマが牛小屋に現れるのは、夜明け近くになる。牛のエサを食べ終わった親子の足跡を辿ると、林の中を通り抜け、川に辿り着いた。
いろんな方角からクマの足跡が川に集まっていて、川べりは足跡だらけだ。牛小屋で前足が泥だらけになったので、クマは川で洗っていたのだ。これは捕食する時、相手を前足で捉えるため、前足は重要であり、汚れているのを嫌うからだ。
しかし、夜明けに牛小屋からやって来た親子のクマはそこで釣り人と遭遇した。驚いた釣り人が声をあげたため、クマも驚いたのだろう。クマは釣り人の目をめがけて前足を振り下ろしたのだ。もし人間を食べるのが目的だったら、人間ののど元に噛み付くはずだ。人間を食べるのが目的だったのではなく、驚いた結果の事件であったと思われる。
熊仙人の横田はこう言う。
「30年近くクマを観察し続けてきた自分がいる地元で、クマの被害がでてしまうと、俺自身の恥だ。人がクマに襲われないように注意喚起を促すこと。それが俺に課せられた役割だと思うんだよ」