私は、日本の経済を引っ張り、希望の星となる“2つの虎”が存在すると考えている。「ベンチャーの虎」と「ヤンキーの虎」である。「ベンチャーの虎」とは、ビジネスに新規性があり、最先端の技術やマーケティング手法を駆使し、先端的なエンジニアや社員を束ねて、資本市場から積極的に資金を調達しながら、世界に打って出るような会社のことをいう。
ソニーやホンダもかつてはベンチャーの虎だった。世界が低成長時代に入り、特に日本の大企業が付加価値を出せずに業績も株価も不振を極めるなか、「ベンチャーの虎」の活躍は社会的要請でもある。
もうひとつの「ヤンキーの虎」は、地方経済の中で地縁と血縁をフル活用し、販売力を武器に高成長を続けるミニ・コングロマリット(複合企業)のことをいう。携帯電話の販売店やコンビニエンスストアのフランチャイジー、介護関連サービス業などを複数経営しながら、地方の情報力を生かして効率的な採用を行い、地域に根差したサービスを行っているのが強さの秘密だ。
イトーヨーカドーやイオンなどのショッピングモールの業績が低迷している原因のひとつに、こうした企業が顧客を奪っている点がある。これらの虎の特色は、「起業家」であるということ。新規性の有無はともかく、未来を開き、雇用を生み出している(「ヤンキーの虎」については、拙著『ヤンキーの虎』(東洋経済新報社刊)にくわしく書いているので、ご興味のある向きは手に取っていただければ幸いだ)。
「社畜」から「社員の虎」へ
ところが最近、より重要な虎が存在していることに気がついた。というよりも、“虎化”しなければいけない集団がいる。
それは、「社員の虎」である。「社員の虎」とは、高い職業倫理と高度な専門性をもって、顧客のために満足できる結果を残すことのできる付加価値の高いサラリーマンのことをいう。これは私の造語で、対義語は「社畜」だ。「社畜」とは、勤めている会社に飼い慣らされてしまい、自分の意思と良心を放棄し、奴隷(家畜)と化したサラリーマンのことだ。ポイントは「自分の意思と良心を放棄」の部分にある。
オリンパスや東芝など不祥事を起こした会社で最も責任が重いのは、経営者である点に異論はあるまい。
しかし、悪いのは経営者だけだろうか? 実務上、不正会計に手を染めたのは事務スタッフである。強いられたとはいえ、不正にかかわった事実は変わらない。劣化した経営者と社畜の共同作業が、粉飾決算の実態である。
「社員の虎」はこれを許さない。なぜならば、高い職業倫理と高度な専門性をもち合わせているからだ。特に重要なのが、「高い職業倫理」。これを備える人は「自分の意思と良心」があるので、やすやすと不正には手を染めない。
私自身も大企業のサラリーマンを経験しているので、これが簡単でないことはわかる。日本における同調圧力の強さもよく理解しているつもりだ。しかし、いくつかの観点から、私たちは社畜的な生き方を変える必要が出てきている。