確かに、現地の空気を吸った上で、シリコンバレーから学ぶことは効果的だと思う。その後日本に戻り、そこで得た新たな着想・アイデアを会社や組織の中で実現すべく邁進していただければと思う。なかなか大変だろうけど。
その一方で、現地の研究者と話すと、米国の学界では以前よりも日本企業・日本経済へのアカデミックな関心は低下傾向が続いているようだ。
シリコンバレー在住の複数の知日派アメリカ人から、偶然にもほぼ同じことを言われた。「日本はやはり政府のリーダーシップが強すぎるんじゃないの。いつも官僚が先走って、援助策や規制を早々に作っちゃてる気がする」と。
彼らのロジックはこうだ。米国は、まず企業が先陣を切って、新しいこと、新しいビジネスをはじめる。それを、アカデミアがデータを集め、解釈し、そのメカニズムを分析する。それらの知見に基づいて、政府は必要な政策を提供する。もちろん、すべてがうまくいっているわけではないだろうが、この基本的な方向性は正しいんだろうと思うし、僕の米国の友人たちはそれがごく普通だし、まとも(ordinary)だと考えている。図解するとこんな感じか。
ひるがえって、彼らが言う「日本モデル」はこうだ。
日本ではまず、米国など他国で起こっていることを学習した結果、「これがベストプラクティスだ」と政府が方針を決める。このプロセスにおけるアカデミアの役割は、他国で起こっていること、他国のアカデミアの研究成果の紹介であり、そして何よりも、政府が示す方針が正しいことの擁護者になることが期待される。
その上で、とにもかくにもロードマップが示され、「では、民間の方々、仲良くこれを実現させて下さい」と政府が後押しする。対照的に図解するとこんな感じか。
この中で、特に大企業はその枠内でお行儀良くビジネスしてるんじゃないの? というのが彼らが日本に抱いている印象だ。さらに、彼らはこう付け加える。「そんなプロセスを踏んでいると、たぶんかなり時間はかかっているだろうし、民間はもうシラけて活力なくなってる気がする」。
彼らは現在日本には住んでいないわけだし、最近の日本で本当に起こっていることをつぶさに把握しているわけでもないし、日本に対する過去のステレオタイプな見方からも完全には脱し切れていないだろう。明治維新あるいは第二次世界大戦直後の日本の流儀が、まだ脈々と続いていると思っている節もある。
しかし、彼らのようなソトからの見方はとても有用だ。恐らく、我々は今自分たちが認識している以上に、過去の歴史や慣習に、全く意識的ではない形でかなり縛られているのかもしれない。その意味では、彼らの見方に接することには価値がある。
1980年代半ばまでのキャッチアップ型の戦略でOKだったころ、図で示したような「逆三角形モデル」は、おおむね非常に効率的だったんだと思う。遠く先を行く欧米先進国の経験に学び、それに基づかなければ、キャッチアップは不可能だったであろう。当時の文脈では、ベスト・ウェイだったのだ。
また当時は、逆三角形というより、下記のような逆台形だったのかもしれない。ベースとなる民間の活力が今よりも旺盛だったのではないか。