フォーブス・トラベルガイド(FTG)で4つ星に格付けされるコロニアル様式の建造物、ラッフルズ・シンガポール。“シンガポールの貴婦人”と呼ばれるこのホテルでは1日500杯以上、小説家アーネスト・ヘミングウェイらに愛されたカクテル「シンガポールスリング」が提供される。
またフラトン・ベイホテル・シンガポール(5つ星)内にあるラウンジバー、ランディングポイントでは毎日2回クラシックな英国式アフタヌーンティーが提供されるが、これも満席になっていることがほとんどだ。
ちなみに宿泊費の相場は、ニュー・マジェスティック・ホテルのようにショップハウス(=伝統的な店舗併用住宅)をシックに改装したホテルで1泊およそ200米ドル(約2万円)。格式高い白&黒が印象的なカペラ・シンガポール(5つ星)のコロニアルマナー(最高級の一室)になると1泊あたり8,000米ドル(約84万円)に上る。
このような特別な値がつくには理由がある。シンガポールの歴史は短く、歴史的なモニュメントは数えるほどしかない。近代化が進著しいこの地で、こうした歴史的な建造物を保護していくには相当な労力と資金を要するのだ――。
2世紀にまたがるシンガポール近代史
近代シンガポールの始まりは1819年。シンガポールを英国の植民地としたトーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿がこの島に足を踏み入れた年であり、この頃から、植民地化による影響も浸透していく。
その後の50年でシンガポールの人口は1,000人から10万人へと膨れ上がった。貿易商や移民が近隣地域だけでなく、中国やヨーロッパからも、この自由貿易港に集まってきたからだ。その当時彼らによって建てられたのがショップハウスやバンガロー、あるいはフラトン砦(1829年、現在のフラトンホテル)、ビクトリア・シアター&コンサート・ホール(1862年)、ラッフルズホテル(1887年)だ。
アイコニックな存在として現在まで保存されているものもあるが、取り壊されたものも数多い。モニュメントを保存の動きが始まったのはかなり後で、1970〜80年代になってからだった。
それまでに、シンガポール最古のホテルであるジ・アデルフィ・ホテル(1863年)、ラッフルズホテルと双璧をなしていたグランド・ホテル・デ・ヨーロッパ、現存する最古の中国風バンガロー、パングリマ・プリングに似た建築物は、新開発のため次々に取り壊された。