大学卒業後に入社した伊藤忠では33歳の若さでアメリカのセブンーイレブン再生に関わり、38歳で転職したファーストリテイリングでは入社10カ月で副社長に抜擢。独立後は企業再生ファンドを設立して650億円の資金調達に成功し、ダイエー再建に乗り出した。
しかし、そんな澤田の実相はかなりの“異端児”でもある。安定の商社を捨て、小売り・流通を一から学ぶ覚悟で面接を受けた会社は、1997年当時は山口県宇部市にある売上高約400億円規模の衣料品販売小売業。
「良い製品をつくり販売するというサービスを確立すれば、15兆円の日本のアパレル市場で必ず1兆円は稼げる!」と熱き夢を語る柳井正社長に感動する一方、「いろんなことを吸収して、いつか独立したい。私にとって柳井さんはステップです」と正面切って告げる図太さがあった。
店長候補として入社後は、関西の店舗で研修。柳井社長の経営理念やビジョンが残念ながら現場に浸透していないことに愕然とし、「商品が期日に届かない」「袋がうまく破けない」「値札とレジ入力が違う」など気づいた点を社長に何度もFAXした。2カ月後に呼び出され、クビ覚悟で山口の本社を訪ねると、「君の言うとおりだ。今日から経営企画室長をやれ」と命じられた。
翌年、副社長に就任後は家族も東京から呼び寄せ、ユニクロのナンバー2として約5年で4,000億円企業へと育てあげた。その後、次期社長の椅子を固辞し、念願の独立を果たす。柳井社長からは「仕事にかける情熱、不屈のチャレンジ精神、即断即決即実行」を学んだ。
振り返れば、異端児の資質は30代ですでに萌芽していた。伊藤忠時代にアメリカのセブンーイレブンを経営していた米国会社の業績悪化を受け、イトーヨーカ堂と伊藤忠でその会社を買収して再生するチームリーダーに任命されたときのことだ。
「日本のセブンイレブンの担当者が現場で問題点を一つひとつ整理し、サンドイッチ工場をどうやってつくるか、物流の効率化をどうはかるか、具体的で現実的な事柄をアメリカの経営トップに提示していったんです。その愚直で誠実な姿に感動したし、実際に会社が劇的に変わっていった。日本のきめ細かな経営は非常に可能性があると思いました」