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2016.09.27

米大統領選テレビ討論会、記憶に残る13の事実

photo by Justin Sullivan / gettyimages


5. 1960年の討論会は、病を患っていたとされる上に、初回にステージ用のメークを断ったニクソンにとって致命的だった。ニクソンは1968年に再び大統領候補になったときには、ヒューバート・H・ハンフリー副大統領との討論会への出演を拒否した。

6. 1968年の大統領選の後も討論会は行われず、次に開催されたのは1976年だった。民主党候補ジミー・カーターと、当時現職の共和党ジェラルド・フォード大統領が論戦を繰り広げた。

7. 1976年には、新たに副大統領候補の討論会も行われるようになった。1984年まで毎回行われていたが、有権者の注目を集めることはあまりなかった。

ただし、1988年だけは様子が違った。共和党の副大統領候補だったダン・クエールは民主党のロイド・ベンツェン候補との討論会で、自分にはジョン・F・ケネディ元大統領と同じくらいの経験があると主張した。ベンツェンがこれに対し、「私はジャック(ジョン)・ケネディと共に働いた。彼をよく知っていた。ジャック・ケネディは私の友人だった。クエール上院議員、あなたは決してジャック・ケネディではない」と切り返したことはよく知られている。

8. 1980年の討論会は、当時現職の民主党カーター大統領と、共和党のロナルド・レーガン候補の間で行われた。このときの「あなたの暮らし向きは、4年前よりも良くなっているだろうか」とのレーガンの発言は、その後も形を変えて、何人もの候補者たちによって使われている。レーガンは再選も果たし、大統領を2期務めた。

9. 民主党候補のウォルター・モンデール前副大統領と相対した1984年の大統領選では、レーガンはすでに73歳の高齢であることが問題視されていた。こうした懸念についてレーガンは、「この選挙戦で、私は年齢を問題として取り上げない。政治的な目的のために、対立候補の若さや経験不足を利用したりしない」と発言。対立候補のモンデールも、これを聞いて笑みをこぼした。

10. 米共和党のジョージ・H・W・ブッシュ元大統領の発言については、多くの人が誤解をしている。記憶に残る「私の唇の動きをよく読んでほしい。増税はしない」との言葉は、大統領候補の討論会ではなく、1988年の共和党全国大会で、大統領候補に指名された際の受諾演説の中で述べられた言葉だ。

11. 1992年の討論会では、無所属のロス・ペローが第3の候補として登壇。現職のジョージ・H・W・ブッシュ大統領とアーカンソー州知事だったビル・クリントンとの論戦に臨んだ。大統領選に勝利したのはクリントンだった。

12. 9月26日のクリントンとトランプの第1回目の討論会は、オハイオ州のライト州立大学が会場の提供を辞退したことを受け、ニューヨーク州にあるホフストラ大学で行われた。同大学は全米で唯一、3回の大統領選で連続して候補者討論会に会場を提供した大学となった。

13. 討論会は1987年以降、超党派の組織である米大統領候補討論会委員会(CPD)が運営しており、司会者や会場もCPDが決定している。

編集 = 木内涼子

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