「シンガポールに引っ越しをする際、日本から猫を連れてきたんですけどね。電話一本かけることなく、支払いまですべてオンラインで手続きができたんですよ」
いったい何の話? と思われるかもしれない。
声の主は、今年3月よりユーザベースのシンガポールオフィスで働く川端隆史。外務省勤務から証券会社を経て、ASEANのスペシャリストとしてユーザベースに入社した、異色のキャリアの持ち主だ。
ユーザベースは2008年創業。企業・業界情報プラットフォーム「SPEEDA」と、ソーシャル機能を兼ね備えた、経済ニュースプラットフォーム「NewsPicks」を手掛け、シンガポールをはじめアジアに4つの拠点を持つ。9月中旬、東証マザーズへの新規上場が承認されたことも、話題を呼んだ。
冒頭のエピソードは、「シンガポールという国の特性が、ユーザベースの事業にどうマッチしたか」に話が及んだ際、川端が口にしたもの。
川端は、シンガポールを「古いインフラのない国」と表現する。国民のスマートフォン所持率は約9割。政府が2014年にスマートネーション構想を発表してからというもの、ありとあらゆるものをスマホに適用させようとする姿勢が国全体を貫く。
川端が驚いたのは、猫の一件だけではない。政府系のサイトも、ほとんどがスマホに対応している。シンガポールでは、テレビや紙媒体の広告よりインターネット広告の方が高く売れることも珍しくないことを知った。より効果のある方にお金をかける、というシンプルな考えでビジネスが進む。
「一般の人々のIT感度の高さ、デジタルに対する垣根の低さは他のASEAN諸国では、ちょっと考えられない。我々も、それを見越した対応をしていく必要があると思うんです」
「土壌」はあった。では、「戦略」はどのようなものだったのか。SPEEDAのシンガポールでの立ち上げ当初から現地で働く伊野紗紀と川端の話を聞いていると、「早い段階で切り替える」という言葉が一つの鍵である気がしてきた。
多国籍国家の強みに目をつけてユーザベースが海外展開を始めたのは、創業からわずか6年目の2013年のこと。
「海外のウエイトを高めないと、すぐに成長の限界が見えてしまう。SPEEDAのようなデータサービスは、欧米やアジアにも競合がいるので、彼らと同じような考え方の土俵に乗っていかないと。経営陣は、“必要投資”としてかなり早いタイミングで思い切って判断したんだと思います」(川端)
日本語版のインターフェイスしかなかったSPEEDAに英語版のインターフェイスと海外の企業のデータを入れることで、グローバル版のSPEEDAは出来上がった。
最初に門を叩いたのは、シンガポールにある日系企業。「でも」と、伊野は続ける。
「日系企業だけではその数は知れている。そこを早い段階で切り替え、(共同経営者の)新野を中心に、海外事業の成功=ローカルマーケットを取りに行く、という目標を掲げました」
ローカルのセールス担当を採用し、グローバル版SPEEDAをローカル企業に売り込む。当時はまだ海外企業のデータが限られていたため、データベースだけで勝負していくのが難しい状況にあった。そこで付加価値としてつけたのが、「リサーチサービス」だ。
シンガポールのビジネスパーソンは、ASEAN各国を広く見ている。「そこで、ASEAN各国出身のアナリストたちを採用し、『SPEEDAにないデータは、アナリストたちがリサーチする』というパッケージとして売っていきました」
現地の言葉と英語ができる人材を採用することができたのは、シンガポールが多国籍国家であったから、と伊野は言う。マレーシア、タイ、インドネシア、ベトナム、中国、インド……。いま、ユーザベースのシンガポールオフィスには、6か国以上の国籍の人々が集まる。これは、シンガポールだからこそ。
「これが、タイだったらタイ人しか集まらなかったかもしれません」。実際にオフィスに行ってみると、「どんな国籍の人がいてもおかしくない国」という二人の言葉を肌で感じられる空間が広がっていた。
現在、海外オフィスの売上げは、全体の約10%を占める。この数字をぐっと押し上げるための条件が、シンガポールには備わっている。