人前で話す機会があるなら見習いたいアデルの「存在感と親密感」

photo by Kevin Winter / gettyimages

アデルの声は、感情にあふれている。そして、彼女にはその声にとどまらない魅了がある。演説や講演などを行い、人前で話す機会がある人たちなら、アデルの「存在感」と「親密感」をぜひ手に入れたいと思うだろう。

まず、存在感について考えてみたい。アデルが発するのは、その素晴らしい声だけではない。感情を込めて歌い、心の傷つきやすさを表現し、私たちは聞くたびに、まるでアデルがどの歌も今初めて歌っているのではないかと誤解してしまうほどだ。

筆者は先ごろ、ボストンのTDガーデンで行われたアデルのライブを見に行った。大型スクリーンに映し出されるアデルの表情には、全ての曲、全ての歌詞に込められた感情が表れていた。大勢の人の前で話す機会があるならぜひ参考にしたい、素晴らしいパフォーマンスだった。

それは、一瞬一瞬にそれほどの存在感を示すことができるということは、アデルの心の強さと、それぞれの曲を歌うことを心から楽しんでいることが、聴衆にも伝わっているということだからだ。

次に、親密感について考えてみる。アデルのパフォーマンスの本当に素晴らしい点は、彼女の歌というよりも「語り」だ。曲と曲の間に、アデルはまるで親密な間柄であるかのように観客たちに話しかける。これは、演説をする人たちの大半にはできないことだ。歌手の中でも、アデルのように話せる人を他にはみたことがない。

先日のライブでは、自分の生活について、生い立ちについて、そしてツアーについて語り、恋愛や子どものこと、誰もが知っている声帯の手術のことについても話した。そうすることで、アデルは聴衆とのつながりを作るのだ。

何かの記念日や誕生日のお祝いでライブに来てくれたのかと尋ね、その日が誕生日だった幸運な人には、誕生日のうたを歌ってあげた。アデルは客席数2万の会場を、まるで良い友人たちと過ごす小さな部屋のように感じさせてくれた。

アデルが私たち聴衆にもたらした感情は、私たちに対してオープンでありたいと願う彼女自身の気持ちによるものであり、同時に彼女の気取りのなさによるものでもある。また、彼女の辛口の物言いのためでもある。

親密感は、バーチャルの時代に生きる私たち全てが切望するものであり、なかなか得られないものでもある。ソーシャルメディアは偽物の親密さともいえるようなものを与えてくれるが、大半の人たちがそれらを使うのは、自分の考えを広く伝えたい、ポイントを稼ぎたい、といった理由のためだ。親密感を得るというよりも、議論をする場に近い。

アデルは数十年に一人しか現れない歌手の一人だろう。大きな「声」を持ち、さらに大きな心を持つ。世界中のパフォーマー、芸術家、そして演説家たちは、アデルから学ぶことができる。

編集 = 木内涼子

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