Q3. これまでのキャリアの経緯を教えてください。
1993年、上智大学で言語学修士を習得後、教師として渡米。ジャパンバッシングの風潮の中、日本への理解を深める役割を果たそうと、米国フィラデルフィアのアイビーリーグ、ペンシルバニア大学で3年ほど日本語、日本文学を教えました。
その後、ジョージワシントン大学大学院で国際関係論を専攻しながら、「連邦通信委員会(FCC)」でインターンをしました。卒業後、かつて米国にあった大手通信会社「MCI」に2年、「プライスウォーターハウスクーパース」のニューヨーク本社での戦略コンサルタント、さらに2社を経て、「NTT America」で9年ほど営業の仕事をしました。
Q4. どんな学生時代を過ごしましたか? 熱中していたこと、描いていたビジョンなどをお教えください。
非常に多忙な学生時代を過ごしました。専門の言語学以外の多くのクラスを聴講して経済からスペインアートまで幅広い知識を得たり、モデルからTIME誌の営業まで多数のアルバイトを通じて、多くの面白い人達と巡り合いました。興味津々なところは今も変わりません(笑)。
契機となったのは、アルバイトで貯めた資金をもとに、インターン教師として米ペンシルバニアの町に6か月ほど赴任したこと。この経験から「外国人に日本語や日本文化を教える」先生になろうと決めました。
帰国後、大学に通いながら日本語教師の資格を取るため2年間夜間学校に通い、大学院在籍中には、外資系企業のエグゼクティブやインタナショナルスクールで日本語を教え始めました。この頃は、自分が何であるかを必死に探していた時期だったと思います。
Q5. キャリアや人生を形成するにあたり、影響を受けた人、ものはなんですか?
現在もお付き合いがある女子高時代の恩師、室崎節先生です。彼女から初めて、フェミニズムなる概念を教わりました。
シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「第二の性」を初めて読んで受けた衝撃は今でも忘れられません。「On ne naît pas femme:on le devient(人は女に生まれるのではない、女になるのだ)」と、女性らしさが社会的に作られた約束事に過ぎないことを、早い時期に認識したのは幸運でした。
今から考えると、非常に閉鎖的で保守的だった私の高校で、彼女は稀な存在だったと思います。室崎先生に出会えたことで、ある意味、精神の自由を学んだのだと思います。